出版社内容情報
江戸前期の会津藩主。二代将軍徳川秀(ひで)忠(ただ)の実子でありながら認知されず、高遠(たかとお)城主保科正光に養育される。保科家を相続の後、兄家光に取立てられ、幼将軍家綱の後見として幕府支配体制を安定させ秩序化へと導いた。会津藩主としても家(か)訓(きん)十五条を遺すなど、幕末にまで影響を与えた。神道家および儒学者としての側面にも触れ、六十二年の生涯に迫る。
内容説明
江戸前期の会津藩主。2代将軍徳川秀忠の実子でありながら認知されず、高遠城主保科正光に養育される。保科家を相続の後、兄家光に取立てられ、幼将軍家綱の後見として幕府支配体制を安定させ、秩序化へと導いた。会津藩主としても家訓十五条を遺すなど、幕末にまで影響を与えた。神道家および儒学者としての側面にも触れ、62年の生涯に迫る。
目次
誕生
高遠城主保科正光の養育
保科家相続
最上山形への入封
陸奥会津への入封
徳川家綱の誕生と家光の死
将軍後見時代
「大老」への道
家綱政治の展開と「大老」正之
晩年と家訓十五条
正之の死とその周辺
著者等紹介
小池進[コイケススム]
1960年千葉県我孫子町(現我孫子市)に生まれる。2000年東洋大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。東洋大学非常勤講師、聖徳大学兼任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アメヲトコ
10
徳川秀忠の息子で会津藩初代藩主となった保科正之の評伝。後世に作られた逸話による明君イメージに安易に拠らず、信頼できる史料から極力禁欲的に実像に迫ろうとする叙述姿勢には好感がもてます。家綱時代の幕政参与については、殉死の禁止や大名家の調停役など見るべき成果がある一方で、大名としての政治については理念突出な感じで疑問符がつく感じです。とくに有名な家訓十五条については200年後への強烈な呪いとなってしまうという悲劇。2020/02/24
MUNEKAZ
6
保科正之の評伝。初代会津藩主として名高いが、それ以前には山形藩主も務めていたのは意外であった。幕政への関与については、従来言われているような家光時代からではなく家綱時代より、それも大老・井伊直孝の死と入れ替わりとしており、また「託孤の遺命」や明暦の大火時の逸話についても、一次史料から見て慎重な記述になっている。同時代の名君たち、池田光政や徳川光圀と比べると、儒学に傾倒した統治という点では共通だが、実務面ではファナティックな部分が少なく、バランスに長けている印象を受けた。2017/12/12
かじうら
0
二代将軍秀忠の隠し子として生まれ保科正光の下に養子に出されるが後に兄である三代将軍家光に取り立てられて大名となり、家光の死後は甥である四代将軍家綱の後見として支えてこの後200年以上続く江戸幕府の支配体制を整えた。賛美している内容が多い二次史料を極力排して書かれているので内容に公平さを感じた。 それでも正に名君といった記述が多いのが保科正之の魅力だと思いました。2024/03/10
萩緒文葉
0
保科正之が好きなのです。 が、さして目新しい発見があって書かれた訳ではなかったようで、期待しすぎました。
Ryuji Saito
0
2018年17冊目 2018/04/27