内容説明
桓式朝に造営され、わずか十年足らずの都城であった長岡京。短命ゆえに廃都をめぐる議論に終始してきたが、近年奈良から平安への転換期に位置づけられる重要な都城として注目される。長年積み重ねられてきた考古学調査の成果によって、大国唐を手本とした桓式天皇の統治理念や専制君主の都としての実像を追究。その独自の構造と都市計画に迫る。
目次
序章 長岡京研究の現状と課題
第1章 長岡京遷都と造営の実態
第2章 長岡宮の構造と独自性
第3章 長岡京の都市計画と宅地利用
第4章 長岡京の土器と食器構成の復原
第5章 都城の土器供給と消費の実態
終章 古代都城における長岡京の史的意義
著者等紹介
國下多美樹[クニシタタミキ]
1958年広島県に生まれる。1983年龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了、向日市教育委員会嘱託。1988年(財)向日市埋蔵文化財センター技師。2003年同事務局長(常務理事)。現在、龍谷大学文学部歴史学科日本史学専攻特任教授。修士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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chang_ume
9
平城京・平安京とも異なる、長岡京ならではの独自性について。「ひな段」状に大規模造成してまで、丘陵上に設定された宮城選地の特色がまず。さらに、朝堂院南門に新設された「門闕」(楼閣)の象徴性が宮城域を南北に二分する意味をもち、それは唐長安「宮城」「皇城」の南北区画をモデルとする。桓武天皇の新王朝シンボルとしての長岡京の性格はとりわけ、特異な宮城のあり方によって表現されたということか。ただ長岡京の画期性が強調される反面、廃都の経緯はどんなものかなとも。そして宮城「南北区画」が平安宮に継承されなかったことも。2020/08/06




