出版社内容情報
野口健、平出和也、谷口けい、平賀淳との出会いが導いたヒマラヤへの道
「パンドラ」とはネパール・ヒマラヤ東部に鋭い山容を屹立させた標高6850mの峻峰である。
女性で初めてピオレドールを受賞したアルパインクライマー、谷口けいは、2015年にこの山の北壁の初登攀を目指すも途中で断念。「開けてしまったパンドラの箱。中身を確認しに、また必ず行きます」とSNSに投稿したのち、冬の北海道黒岳で滑落し、非業の死を迎えてしまう。
著者の大石明弘は、学生時代にシェアハウスで同居していた野口健に谷口けいを紹介されて以来、何度も山行をともにして登攀技術を学ぶだけでなく生き方への大きな影響を谷口から得ていた。大石は谷口の死後、評伝『太陽のかけら』を記すが、そのなかで彼女の心残りとなった「パンドラ」への挑戦を誓う。
本書は著者の大石明弘が「パンドラ」の登頂を果たすまでにかかわってきた人とのつながり、そしてそれらの情熱に刺激されてきた過程を振り返る自叙伝である。
大学で野口健との運命的な出会いを経て、武蔵野のシェアハウスで生活を共にすることになる大石は、同居人たちの相次ぐ海外での活躍に刺激を受けると、日本山岳会の登山隊に参加して北米大陸最高峰マッキンリーに登頂。さらに「学生だけで8000メートル峰へ」の計画を立て、他大学同学年の平出和也を誘ってチョー・オユ―(8201m)に向かい、学生ふたりだけで登頂する。
その後、さらなる高みをめざす過程で谷口けいと出会い、ともに登りながら冬の北アルプスや本場アルプスで登攀技術を向上させる。しかし、谷口が北海道黒岳で帰らぬ人となると、彼女が最後に挑戦して登ることのできなかったパンドラの登頂を最大の目標に掲げる。
その前哨戦としてアラスカのハンター北壁に向かい、苦闘の末、パートナーの鈴木啓紀とともに登頂。ところがベースキャンプに戻ると、自分たちの登攀を記録していたカメラマンの平賀淳がクレバスに落ちて亡くなっていた。
そして2024年7月には大学時代からの岳友・平出和也が、中島健郎とともにK2西壁で滑落して帰らぬ人に。
出発を前にしての相次ぐ不幸に「時期が悪すぎるので延期すれば……」と友人たちは忠告するが、大石はそれを振り切ってパンドラの頂を目指す。
【目次】
■内容
プロローグ
第1章 武蔵野シェアハウス
第2章 「異世界」との遭遇
第3章 八〇〇〇メートル峰へ
第4章 新たなる出会い
第5章 惜別のとき
第6章 「四十三歳の壁」の先で
第7章 パンドラ
エピローグ
内容説明
野口健と暮らしたカオスの日々から25年。谷口けい、平出和也、平賀淳…。山に逝きし友たちの情熱の光に導かれ、著者はヒマラヤの峻峰、パンドラに向かう。
目次
プロローグ ある若者の二五年の物語
第1章 武蔵野シェアハウス
第2章 「異世界」との遭遇
第3章 八〇〇〇メートル峰へ
第4章 新たなる出会い
第5章 惜別のとき
第6章 「四十三歳の壁」の先で
第7章 パンドラ
エピローグ 箱の底にあったもの
著者等紹介
大石明弘[オオイシアキヒロ]
1979年生まれ。1998年、18歳で野口健のエベレスト登山隊に参加。2001年、21歳で平出和也とチョー・オユー(8201m)に登頂。その登山記録の寄稿がきっかけとなり、大学卒業後、『山と渓谷』編集部に2年間在籍。その後、地元静岡で大石燃料(有)を経営しながら、兼業ライターとして山岳雑誌で多数の記事を執筆。共著『日本人とエベレスト』で「梅棹忠夫・山と探検文学賞」を受賞。2010年、30歳で平出とカナダ・ノースハウザータワー西壁完登。2024年、44歳で鈴木啓紀、高柳傑とネパール・パンドラ(6850m)北東壁完登。南アルプスみらい財団テクニカルアドバイザー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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