内容説明
優れた登山家は、なぜ実社会で「遭難」したのか―。圧倒的な存在感を放ちながら、破天荒に生きた憎めない男の痛快な人物伝。
目次
十二年後に知った死
十七歳の出会い
強烈な個性
下町育ちの“講談師”
東京大学スキー山岳部
生まれもった文才
強運のクライマー
K7初登頂
山からの離脱
不得意分野は「恋」
迷走する建築家
酒と借金の晩年
はじまりの山、おわりの山
著者等紹介
藤原章生[フジワラアキオ]
1961年、福島県いわき市生まれ、東京育ち。86年、北海道大工学部卒後、住友金属鉱山に入社。89年、毎日新聞社記者に転じる。ヨハネスブルグ、メキシコシティ、ローマ、郡山駐在を経て、夕刊特集ワイド面に執筆。05年にアフリカを舞台にした短編集『絵はがきにされた少年』で第3回開高健ノンフィクション賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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つちのこ
48
久しぶりに血湧き肉踊る山の作品に出会った。あとがきには、一人の人間の物語というより群像劇とある。巻末の主人公永田の山歴をみると、カラコルムK7初登頂を除けば平凡な記録の羅列。オールラウンドのアルピニズムを標榜するクライマーなら標準レベルだ。傑出したエキスパートクライマーでもない無名の永田になぜ惹かれるのか。私は永田とは奇しくも同年齢、同じ時代を大学山岳部で過ごしたことも一緒なので、純粋に山に明け暮れた永田の姿に自身を重ねて親近感を抱いたかもしれない。永田が山を止めた理由は分からないが、登攀技術に限界を⇒2023/12/06
マリリン
39
何故このタイトルなのか、何故書いたのか...そんな想いを持ち読んだ。呆れるほど破滅的な人間像が浮かび上がってくるものの、書き残しておきたかった著者の気持ちが伝わってくる。強い個性を持った人間像からは不思議な魅力がある。通い詰めたという田端の壁は知っている。同じアル中でもアルピニズム中毒だったら...K7登頂後、登山から退き建築の世界への転身は、永田氏が表現したい世界としてふさわしかったのか? 知名度はなくても凄い人だ。永田氏の山に対する情熱と感性が伝わってくる。一瞬の輝きにが残像のように残る作品だった。2023/03/31
taku
17
ある人物の魅力を知らない人に伝えることは容易じゃない。永田東一郎のような人だと尚更。だからこそ、彼の憎めない人柄や存在感というのをもっと表現できるとよかった。エピソードや人物評からダメな部分は十分伝わるのに、魅力については納得できる永田像がなかなか浮かんでこない。痛みを伴う想いと80年代へのノスタルジーを重ね、著者自身と永田を知る人のために書き記したように感じられた。私はもっと、クライマーとしての描写を欲していたのだと思う。2024/07/08
yoneyama
13
私の3年上で大学山岳部センパイの著者が、その3年上の高校山岳部センパイの永田さんのことを評伝で書いた。才能に溢れ優しく憎めない性格なのに、決定的に破滅型の永田さんの、生まれたときから死ぬまでの資料をすべて読んで、話を聞きまくって現場を訪ねまくって書いた本。評伝を書きたい、と思わせる魅力が、この人のにあるからできた本だ。著者は多くの人が登場する群像劇になったという。私もほぼ同時代の1980年代に青年期だったから、時代の自由さの理由がわかる気がする。世間的にはほぼ無名だが、「K7の永田さん」心に強く残る。2023/02/22
100名山
8
目次を見ると”「田端の壁」初登攀”とあります。ああ、年代は同じだなと思い永田藤一郎なる人物は全く知りませんでした。常盤橋は行きましたが、田端は行かず終いでした。利尻島で落差500m滑落しても軽いけがで済んだ話は阿弥陀の南稜で7人が300m滑落して3人は生還し、4人が雪に埋もれて亡くなったように雪に埋もれるか否かで生死を分けるのだなと思いました。サブタイトルの”80年代ある東大生の輝き”はない方がよかったかな。文章は読みやすく、藤原氏の生い立ちも垣間見れるし、懐かしく読めました。2023/05/12