内容説明
1970年代から80年代にかけて、クライミングシーンを牽引した登山家・長谷川恒男の自著。15歳で山登りに出会い、丹沢から谷川岳、明星山、穂高へ。同人「星と嵐」設立や、エベレスト登山隊での挫折。若かりし日を描いた代表作。
目次
長谷川恒男グラフィティ
十五歳~(はじめての丹沢;雪の丹沢 ほか)
十八歳~(東丹沢の沢登り;谷川岳一ノ倉沢へ入る ほか)
二十一歳~(豪雪の海谷山塊千丈岳;一ノ倉衝立岩で宙吊りになる ほか)
二十三歳~(酷寒の北岳バットレス;アルパイン・ガイド協会 ほか)
二十六歳~(一ノ倉第二スラブ冬季単独初登;穂高岳―内田修一君のこと ほか)
著者等紹介
長谷川恒男[ハセガワツネオ]
1947年(昭和22年)、神奈川県生まれ。県立神奈川高校卒。山岳会「星と嵐」創立会員。明星山に数ルートを開拓し、谷川岳一ノ倉沢第二スラブの冬季単独初登攀を記録する。77~79年、ヨーロッパアルプス三大北壁の冬季単独初登攀、81年には南米大陸最高峰・アコンカグア南壁の冬季単独初登攀を達成。日本アルパイン・ガイド協会会員、第二次RCC同人。91年、カラコルムのウルタル2峰で雪崩により死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ニッポニア
60
この表紙よ、これが全てを物語る。危険を顧みず、グングン登っていて、たまに滑り落ちている、修復可能なレベルなのかもしれないけれど、手記を読む限りかなり過酷だと思われる。登っている岩の間で寝袋にくるまってビバーク、とかそこまでして登る魅惑があるんだろうな。たまに出てくるご飯が美味しそう、実際、おいしいのであろう。人も何人か死ぬ、運と実力と気力の総合武道。2024/03/17
ゆかたん
12
わんぱくだなぁ。2021/09/25
頭痛い子
3
ここ5年ほど、ハセツネのスタッフとして、または選手として大会に関わっている。長谷川恒男の名前は聞けども何をしたかわからないって人にうってつけの本。長谷川恒男が外国の山に向かう前、まだ無名時代だったころの話だが、文才あるんだろう、ちょっと読み始めたら止まらなくなり、最後まで読んでしまった。私は岩や雪山はやらないが、すげぇと思ったのは厳冬期の北岳バットレスやったあとに、広河原小屋ついたと思ったら翌日には奈良田温泉まで衣服濡れたままで行き着いたガッツよ。広河原小屋に薪がなくて衣服乾かなかったらしい。2023/11/07