内容説明
明治、大正、昭和の文学者48人が遺した山にかかわるエッセー、紀行文、詩歌を集めたアンソロジー。文学を取り巻く時代背景と、登山の移り変わりの中で、作家たちは山をどのように見て、歩き、魅了されたか。文芸作品としてはもちろん、それぞれの山岳観や自然観照、登山史的背景、そして、自然を舞台とした文芸鑑賞への手引書としても興味は尽きない。
目次
富士山(抄)落合貞三郎訳(小泉/八雲)
穂高岳(幸田/露伴)
山水小記(抄)(田山/花袋)
登山は冒険なり(河東/碧梧桐)
信州数日(抄)(伊藤/左千夫)
富士登山(高浜/虚子)
武甲山に登る(河井/酔茗)
女子霧ヶ峰登山記(島木/赤彦)
烏帽子岳の頂上(窪田/空穂)
高きへ憧れる心(与謝野/晶子)〔ほか〕
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しいたけ
122
月イチで行っていた富士山周りウォーキングの日に少しずつ読んでいこうという目論見でした。実際はそんな優雅な暇はなく、行き帰りはバス、ナイーブな三半規管を持っている私は全く読み進めることが出来ず・・・。結局富士山周りウォーキングはリタイヤしましたので、せめて本は最後までと気合を入れて読みました。日本文学を代表する歴々の書かれたものですので、文のピリッと美しいところなんぞには口をオの形にして感じ入りました。とはいえ正直、エッセイや紀行文のアンソロジーは読んでて飽きる飽きる(汗)。ウォーキングより疲れました。2017/10/16
キムチ
51
「作家の。。」という標題とは意を異にし、「明治~大正、昭和初期の山」が展開する。胸元に手を入れる「文壇のご仁」が2000㍍級の山陵を縦走する姿はイメージが湧き辛い。再読の今回 井伏氏の作中に有る深田氏のとてつもない記憶力に舌を巻く。北、中、南の連山の大小すべからく名と標高をあげ~ペラペラ。かの人の人生時間は山の砂礫一粒一粒と化しているかのよう。山岳版満漢全席にも似て色々な味わいが読んでいると愉しい。作家の文学的匂いを濃密に嗅げたのは「伊豆の踊子」文中の「夜の底が白くなった」・・こういう自然描写を紡ぎ出す人2022/11/22
キムチ
40
返却棚に発見、パラパラめくると、こらぁ、面白そう。家に帰り、ほぼ夢中で読む。文を綴っているのは作家に限らず、種々。川端、遠藤周作など蒲柳のタチといわれる方でも「登れるんだよ」というくだりにクスリ。広がる情景は北アが多く他日本北部が大半。時代は明治・大正。碧悟洞、芥川らが「麦藁帽、浴衣で」というに仰天!志賀氏曰く赤城で焚火をし、外套を脱いで穴の奥に寝るのもひぇ~。全体的に山麓逍遥の域とは言え本格派もいて愉しい。亀井~八つ縦走、辻邦正、北杜夫、大佛氏の徳本峠・下の廊下、徳沢小屋、奥又の文がいい♪。2017/03/26
hitsuji023
7
同じ山旅でも作家によって印象が違う。私はどうやら登山家の書く文章よりも登山になれていないような気軽な文章を好むようだ。自分と同じ匂いがするから。 小泉八雲、高浜虚子、河井酔茗、窪田空穂、竹久夢二、若山牧水、谷崎潤一郎、川端康成、尾崎一雄、臼井吉見などが良かった。2017/05/28
里山輪太郎
5
明治から昭和にかけて文学人たちが残した山のエッセイ、紀行文です。古い文章は言い回しが今と違ってちょっと読みづらいかな。山に入る身なり、コースは今とだいぶ感じが違うが、釜トンネルもなく、富士山頂にはまだ石室しかなかった時代から、山の名前、姿は変わってないんだなと、ちょっと、不思議な気持ちになった。48人の作者が多方面から山を語ってくれている。最後に登場する北杜夫さんの文章にはユーモアがあって面白い。 2017/06/22