内容説明
長崎出島のオランダ商館に来た人びとを通じて、江戸時代の日本はかろうじてヨーロッパ諸国とつながっていた。オランダ商館の医師として来日し、当時の日本の姿を紹介した人物としてよく知られるケンペルとシーボルトは、それぞれどのような動機で日本に来たのか、日本のなにをどのように伝えようとしたのか、そして日本側からどのように受けとめられたのかを、二人を取り囲む周囲の状況の違いにも着目しつつ、跡づけてみたい。
目次
舞台装置としての「鎖国」日本―ケンペルの見たもの
1 ケンペルの長い旅(ケンペルの故郷と当時のヨーロッパ;長い旅時 ほか)
2 18世紀の日本に来た人びと(蘭学の第一世代;植物学者ツュンベリーと日本の弟子たち ほか)
3 シーボルトの登場(新生オランダ王国;シーボルトの日本派遣 ほか)
4 シーボルトの日本研究と再来日(ヨーロッパへの帰還とその後の生活;『日本植物誌』と『日本動物誌』 ほか)
著者等紹介
松井洋子[マツイヨウコ]
1957年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。専攻は日本近世史。現在、東京大学史料編纂所教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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samandabadra
1
昔民博でケンペル展ってあったなとか思って手に取る。シーボルトもそうだが、日本研究をやったヨーロッパの人という印象であったが、実は、シーボルトは江戸末期に、どちらかというと日本側に立ってできるだけ不利益が出ないよう交渉に立ったような印象をこの本を読んでいて受けた。この部分は、『風雲児たち』ぐらいの知識では知らなかった物事、非常に勉強になった。2025/01/27
putisiyante
1
NHKラジオのまいにちドイツ語で、ドイツの恋の歌を原文で知った。シーボルトは有名だが、それ以前に活躍したドイツ人がいた事を初めて知った。2011/05/09
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