内容説明
日本古代律令国家は、全国に道路をはりめぐらし、約16キロごとに、早馬を乗り継ぐための施設―駅家を置いた。その数は、平安時代の法律書『延喜式』によれば、402。駅家の具体的な姿は、従来よくわからなかったが、近年発掘調査によって、山陽道の駅家を中心に、徐々にその実態が判明しつつある。本書では、それらの成果を紹介し、また、出土文字資料の検討を通して、駅家の機能に迫ってみたい。
目次
駅家と駅路
1 山陽道の瓦葺駅館(駅家の学際的研究;小犬丸遺跡の発掘 ほか)
2 全国の駅家の諸相(玉虫色の遺構;岩手県北上市新平遺跡―最前線の駅家? ほか)
3 出土文字資料からみた駅家(出土文字資料の意義;多賀城市山王遺跡―駅子の強制的移住? ほか)
著者等紹介
木本雅康[キモトマサヤス]
1964年生まれ。国学院大学文学部卒業。国学院大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。専攻、歴史地理学。現在、長崎外国語大学外国語学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Mentyu
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駅家と駅路の考古学方面からの概説書。海外からの使節が泊まる山陽道の駅家は瓦葺きで、しかも使節が逃げないよう立地が工夫されていたり、四国の駅路は奈良時代は四国一周道路だったのが平安時代からは効率化のためT字になったりと古代日本の工夫が見受けられておもしろい。2013/06/08
sfこと古谷俊一
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律令制度に基づき30里(約16km)ごとに設置された駅家の実態について、現在の発掘調査と史料から判明していること推定されていることを整理。 兵部省の配下で軍事的な機能も色々あったのね。2010/08/08