出版社内容情報
啓蒙絶対君主の典型とされるフリードリヒ大王。彼の生涯をたどり、啓蒙とは何か、プロイセン国家とは何だったのかを考える。
屋敷二郎[ヤシキジロウ]
一橋大学教授
内容説明
「第一の下僕」と自らを位置づけた若きフリードリヒは、果敢な対外戦争によって「大王」となった。文人でありたいという生来の願望を抑え、激動の治世をつうじて自己を律した「老フリッツ」は、寛容・衡平・自由を重んじ、自ら率先して祖国に奉仕することで、市民の主体性を「下から」導き出そうとした。本書は、啓蒙絶対君主の典型とされるフリードリヒ大王の生涯をたどり、啓蒙とは何か、プロイセン国家とは何だったのかを考える。
目次
「第一の下僕」
1 ホーエンツォレルン家とプロイセンの伝統
2 修業時代
3 大王への道
4 寛容の「祖国」を求めて
著者等紹介
屋敷二郎[ヤシキジロウ]
1969年生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。専攻、西洋法制史。現在、一橋大学大学院法学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しんすけ
11
冒頭に高校の教科書でフリードリヒ大王は既知である、と云ったことが書かれている。しかしぼくは『戦争論』を読むまでは既知ではなかった。高校生のころ勉強していなかったのがバレた様な気分になってしまった。しかし続いて下記がフリードリヒ大王の言葉として紹介されていたが、これは鮮明な記憶が残っていた。「君主は、自己の支配下にある人民の絶対的主人でないばかりか、その第一の下僕にすぎない」現代では国会議員が威張って国を疲弊させているが、行政を心得ない下僕を野放ししている国民全体に対する当然の結果にすぎない。2019/10/03
ジュンジュン
6
啓蒙専制君主=「国家第一の下僕」のフリードリヒ大王小伝。即位までを50ページ(100p中)使って、プロイセン史(ブランデンブルク選帝侯~プロイセン王国成立~父軍人王と王太子時代)を描く。おかげで、連綿と続いていた政策(宗教的寛容や軍事力など)を彼が集大成したのがよく分かった。なるほど、突如豹変したかのようなシュレジエン侵略も、法解釈と彼の著作(反マキャベリ論)を踏まえれば充分説明できるのか(64p)、納得。2020/01/23
うえ
4
哲人王であったフリードリヒの知的遍歴がわかる。1733年に受贈したロック『教育に関する考察』のフランス語訳をブックガイドとしてそれは始まる。さらにフリードリヒの法思想の要となったのはプーフェンドルフ『人と市民の義務』のフランス語訳。だが最大のものは哲学王ヴォルテールとの往復書簡とのやりとりだという。その数八百通。1738年にヴォルテールから『ニュートン哲学要綱』を献呈され、寛容思想を表明した『誤謬論』を大王は書き残す。ポツダムに招かれたヴォルテールは、大王と後に決裂するも、死ぬまで交際を続けたという。2023/09/02
アボット
4
1525年フリードリヒ大王の家系 ホーエンツォレルンの領地がプロイセンとなった。プロイセン公国の歴史が複雑。父フリードリヒ一世からの虐待的とも言える教育には本当に同情してしまう。フリードリヒが書いたヴォルテールの「アンリアード」という著書の序文がフリードリヒを象徴しているように感じたが、自身がめざしたという啓蒙絶対君主の理想像と相容れないような気もして難しく思う。ブルボン家とハプスブルク家が手を結ぶ事(→ルイ16世とマリー・アントワネットとの結婚の悲劇)が反フリードリヒがきっかけとなっているのが残念。2021/11/11
麺
3
コンパクトな頁数ながら、フリードリヒ大王の以前のプロイセン、王太子時代のフリードリヒ、即位後の様々な改革・戦争・復興について詳しく述べた良書。著者の専門が西洋法制史であることから、大王の時代に行われた司法改革について中心人物を複数挙げながら述べている点が他書にない特徴か。大王に纏わる俗説を積極的に取り上げて、逐一根拠をもって否定している点も頼もしかった。2021/01/11