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出版社内容情報
ジャック・デリダ[ジャック デリダ]
著・文・その他
守中 高明[モリナカ タカアキ]
翻訳
内容説明
デリダの晩年の問題系のひとつでもあった“赦し”の可能性=不可能性のアポリアを緻密に展開した論考。ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教をめぐる現代世界の錯綜する宗教紛争やイデオロギーの争いのなかで、ジャンケレヴィッチの議論やハイデガーのナチズム加担の問題を軸に、赦し得ない罪をそれでも赦し得るのかという究極の問いを論じ抜く。訳者の力作解説付き。
著者等紹介
守中高明[モリナカタカアキ]
1960年生まれ。早稲田大学法学学術院教授。詩人。フランス文学・思想専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
松本直哉
24
本来の赦しは赦しを乞う者と赦す者が一対一で差し向かいの場でなされるとの一節に考え込む。戦争犯罪の加害者や被害者の子孫が赦しを乞い赦すことはできるのか。自身が関わっていない罪をどう謝るのか。謝らなくてもいいのか。いやそんなはずはない。謝らなければ罪は忘れられ同じ罪が繰り返されるだろう。謝ることが不可能なのに謝る。pardon の語源に照らせばそれは徹底的に与えつくすことである。どのような見返りも求めずに。戦争犯罪は原罪のようなものだろうか。人は無垢で生れてくるのではない。生れたときにすでに罪に染まっている。2018/03/30
34
12
デリダはあまりに別格なので時代遅れになることができない。2019/04/06
逆丸カツハ
2
赦しは赦し得ないものを赦すことというのは身に染みるなあと思った。赦しとはある主体の持つ規律や規則、道徳観念に対して単独的、実存的に存在するものだということ。つまり、もしも赦すことを徹底してしまった先にはアナーキーな無秩序が待ち受けているのでは?と漠然と思った。2020/05/27
権現
2
やっつけた。「赦し得ぬものを赦すことは可能なのか?」という大きな問いを哲学する、ジャック・デリダ晩年のテーマを象徴する一冊。デリダ曰く、「告解・改悛を前提にした赦し」は「条件付きの赦し」であり、人間性の極地を飛び越えた先にある罪、ないし「赦されることさえ期待しない謝罪」といったある種の極点に対応するものではないという。エコノミーな構築から脱し、交換を超越した純粋な赦しを人間が獲得した時、世界には新しい形の因果が生まれるのかもしれない。個人的にはすごく難しい一冊だった。何度か読んで身につけたいところ。2015/12/28
YY
1
赦しの可能性、不可能性について論じる、というか論じはじめというか。条件なしの絶対的な赦しはなんなのか。誰が何を赦すのか。絶対性のアポリアみたいなところは伝わった。たぶん、この先、赦しの周囲から少しずつ、赦しについて描いていくのだろう。解説については、こんなとこでこういうことを不用意に言うから左翼が嫌われるんだ、という内容。2016/05/08