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出版社内容情報
〔旅人たちの歴史2〕天明3年、ふるさと三河を離れて以後40余年間に、膨大な紀行文・地誌・図絵を残した真澄の旅の仕方を通して、当時の社会構造・経済・科学・文化を読み取る。
目次
たびごろもおもひたち父母にわかれて、春雨のふる里を袖ぬれていで、玉匣ふたむら山をよそに三河路を離て
いではのくに田川郡鼠が関といふ、しつまやのをさがやに泊りぬ。これよりなべて庄内とよぶ
関屋を越て大間越といふ処にて津梅川を渡る。これよりの道ののり一里の遠さを、よそちよまちにふみわきたり
津軽侯の役人より、船よそほひ致され申べしと案内ありて、船頭各々上下を着し、船玉の御酒をさゝげ、舟歌を奏すれば―『東遊雑記』
山田あり、こは、稲てふものうゝるにあらず、田稗とて、ひえかりたるくち根のみ残りぬるに、霜ふかくさむし。かまやの浦にいず
河べたの角ぐむあしのなかに、ながやかの木のうれにわら、菅、あるは又笹などをつかねいひてさしたり
ちいさやかの祠ある側に文永の碑あり、こと文字は苔にかいけたりて、それとはよみもとかれず
旅立してける人しあれば、小石ふたつをとりて水うちかけて、その人のはぎのつよからん事をいのるならはし也
としごとの卯月八日を山口とし、みな月の十五日は神わざなれば、まうづる人多し
天瀬川の村なる山岨の能布巨畠といふあり。そのゆゑは、天正のむかしの事にやあらん、信雄卿こゝにさすらへのよしを伝ふ