出版社内容情報
高峰譲吉(1854年から1922年)化学者、実業家、民間外交家。
加賀藩医師の子として生まれ、長崎、大坂、七尾で英語を学ぶ。大坂舎密学校、工部大学校、英国留学で化学を学び、工務局勧工課、特許局に勤めた後、発明起業家をめざし、アメリカに拠点を移した。挫折を乗り越えタカジアスターゼの発見、アドレナリンの結晶化を実現。化学者・実業家としてのみならず、アメリカ在住の日本人リーダーとして日米の親善に尽力した。
【目次】
序 章 なぜ日米友好親善のために尽力したのか
第一章 生い立ちから化学者になるまで
1 加賀藩の医師の家に生まれる
2 長崎留学
3 英国留学
4 農商務省の役人として
第二章 金ぴか時代の米国での熾烈な競争
1 キャロラインとの出会い
2 東京人造肥料株式会社の設立
3 金ぴか時代の米国
4 米国への移住とピオリアでの悪戦苦闘
5 相次ぐ災難
6 タカジアスターゼの結晶化に成功
第三章 民間外交のインフラ発明
1 渋沢栄一との関係修復
2 日露戦争下での対米広報活動
第四章 対米民間外交の展開
1 日露戦争後の日米関係
2 百年前の日米実業団相互訪問
3 ポトマックの桜
第五章 情報発信力の向上を目指して
1 一九一〇年代の日米中関係
2 三共社長への就任
3 日米関係改善への呼びかけ
4 国際通信社の創設
第六章 日本人の独創性を開発すべし
1 理化学研究所の創設
2 日本人の発明力の強化
3 ふるさと富山の経済開発
第七章 日米友好親善に向けての最後の努力
1 第一次世界大戦後の世界を見据えて
2 高峰の死去
3 高峰の遺産
終 章 現在に生きる高峰譲吉
参考文献
あとがき
高峰譲吉略年譜
人名索引
事項索引
内容説明
世界をリードする化学者の挑んだ、日米親善外交の”発明”。
目次
序章 なぜ日米友好親善のために尽力したのか
第一章 生い立ちから化学者になるまで
第二章 金ぴか時代の米国での熾烈な競争
第三章 民間外交のインフラ発明
第四章 対米民間外交の展開
第五章 情報発信力の向上を目指して
第六章 日本人の独創性を開発すべし
第七章 日米友好親善に向けての最後の努力
終章 現在に生きる高峰譲吉
著者等紹介
木村昌人[キムラマサト]
1952年 生まれ。株式会社三井銀行勤務後、1989年、慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了、法学博士。2019年博士(文化交渉学)。文京学院大学教授、公益財団法人渋沢栄一記念財団研究部部長および研究主幹、関西大学客員教授を歴任。現在 東アジア文化交渉学協議会理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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