出版社内容情報
最上義光(1546年から1614年)・家親(1582年から1617年)・家信(1605年から32年)山形藩初代藩主~第三代藩主。
義光は関ケ原の戦いの後、五七万石の大藩を治めるが、家親の死による跡目相続が遠因となり、家信は改易の憂き目をみる。実像を反映していない言説も多いなか、最上家の勃興と衰退を複眼的に捉え直す。
目次
第1章 義光誕生から家督継承まで
第2章 羽州探題の再興を目指して
第3章 豊臣大名として
第4章 奥羽の関ヶ原合戦
第5章 徳川政権下の義光
第6章 義光の後継者たち
著者等紹介
松尾剛次[マツオケンジ]
1954年、長崎県生まれ。1981年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を経て山形大学に着任。1994年、文学博士(東京大学)。現在、山形大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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MUNEKAZ
12
最上氏三代ですが、家親・義俊はおまけで中身はほぼ義光の一代記。ただ3人並べて書いてあると、全盛期で後継にバトンを渡した義光から、なんでこうも早く転落してしまうのかと嘆息も。「関ヶ原での奮戦」「幕府との太いパイプ」と、どう考えても大藩外様大名の中でも安泰間違いなしなのにどうしてと。「嫡男・義康に継がせていたら」「家親が長命ならば」「大身の家臣をしばきあげていたら」。たらればは尽きないが、上杉や伊達が生き残ったことを考えれば不条理劇のような趣き。庄内地方の灌漑など、三代の治世が残した遺産が今もあるのが救いか。2022/05/20
フランソワーズ
2
確かに、最上義光といえば『独眼龍政宗』でのイメージが強い、伊達政宗の引き立て役。でもこうして実像を追ってゆけば、戦乱の世を強かに生き抜き、57万石もの大々名に雄飛させた、清濁合わせ持っていることは英雄。戦国・織豊期・徳川期の各時勢を巧みに乗り越えた義光であったが、3倍以上身代を大きくしたことがかえって、義光以降の当主が家中統制を含めて、難しくしたように思えてならない。2023/08/11