出版社内容情報
楠木正行(1323年?から48年)・正儀(1330年?から89年?)南北朝期の武将。
正成の子。兄正行は、父の死後南朝の主力を担い戦場で命を散らす。弟正儀は、兄亡き後楠木一族の棟梁として南朝を支えるも、北朝・室町幕府へ降り、晩年には再び南朝へ帰参する。対照的とされる兄弟の実像を描きだす。
内容説明
楠木正行(一三二三?~四八)・正儀(一三三〇?~八九?)南北朝期の武将。正成の子。兄正行は、父の死後南朝の主力を担い戦場で命を散らす。弟正儀は、兄亡き後楠木一族の棟梁として南朝を支えるも、北朝・室町幕府へ降り、晩年には再び南朝へ帰参する。対照的とされる兄弟の実像を描きだす。
目次
第1章 楠木一族の興亡
第2章 正行の戦いとその死
第3章 南朝の危機と正儀
第4章 観応の擾乱期の南朝と正儀
第5章 室町幕府軍との激闘
第6章 室町幕府と正儀の変節
終章 楠木一族のその後
著者等紹介
生駒孝臣[イコマタカオミ]
1975年三重県生まれ。2004年関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程単位取得退学。2009年博士(歴史学)。現在、花園大学文学部専任講師。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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りらこ
28
楠木といえば正成、正行が有名どころ?南北朝時代についてはなかなか色々難しい問題があって、楠木正成を取り上げるだけでも思想としてん?、太平記信じるのはん?とか史料としてどうなん?とか。この本は三分の一が正行について、残りが正儀について太平記を一次史料としながら他の史料も用いつつ生涯を追ったもの。でも少しやはり著者の想像が垣間見えるけど、それがなければ書けないよねぇ。正儀の変節についてその芽は早いうちから心のうちにあったのではないかとあるのが興味深い。長く生きると評価されない典型的なケース。それで良いのだ。2021/08/10
MUNEKAZ
13
楠木正成の子、正行と正儀の評伝。「桜井の別れ」など著名な逸話もあり、父に劣らぬ「忠臣」として名高い正行よりも、本書のメインは正儀の方。南朝→北朝→南朝と変節を繰り返した複雑な生涯を、『太平記』を批判的に使うことで再現している。それは「忠臣」「逆臣」という一面的な評価を超えた、組織の中で苦悩するリアリストの姿を映していて興味深い。南朝というブラック企業を抜け出したら、室町幕府という人間関係の地獄が待っていたというのには、現代の勤め人も涙を誘われるのでは。後村上帝という理解者亡き後の正儀の運命は悲しいの一言。2021/06/11
フランソワーズ
6
南朝の「忠臣」正行、「心少し延びたる者」正儀。今日まで残る『太平記』史観による正行・正儀評の疑義を呈すために一次史料に頼るつつ、史料の残存状況から『太平記』も援用して、”立体的”に見とおそうとする。特に正儀についてはより突っ込んで論述されており、そこから南朝の内実がうかがえる。わたし的には、楠木一族である和田氏・橋本氏、河内の土豪である渡辺氏などの動向が書かれているのが興味そそられました。2021/06/28
いきもの
5
悲劇の武将と描かれながらも実は好戦的だった可能性がある正行、そして楠木三代の中で最も長く生き、その割には父と兄の影に隠れる現実主義的な正儀。やはりこの一族は面白い。2023/10/20
アンパッサン
3
正儀、南朝北朝のアクシデントに翻弄されながら、父兄よりもシビアな選択ができる、息の長い武将に成長していった。こんなに両陣営のトップたちと接点を持った人はいないんじゃないか。後村上との関係性にグッとくる。橋落としのエピは創作かもしれんが、楠木一族の「技」なのではないか。北朝へ鞍替え以後の彼の去就を思うと、今に通ずるものがある。楠木正儀、もっとクローズアップされるべき。2021/10/10