出版社内容情報
他者とのつながり、今これほど希求され人々の口に上る言葉も他にない。しかし自明とも思われるこの言葉が何を指しているのか。それを明確にしようとするととたんに苦労する。藤井さんは他者とのつながりを、かかわりの内側から把握する。その方法はよく練られ、エピソードの記述は豊かである。対人支援において生じる未知の領域に踏み込んだ力作である。
森岡正芳(神戸大学名誉教授)
「他者理解=分かる」とは別の「つながり」とは?
私たちにとって生きることの力となる、実感を伴った他者との「つながり」とはどのようなものだろうか? 本書では、著者自身が体験した三つの事例(父の闘病生活を共にする体験、保育園での二人の子どもとのかかわり)のエピソードなどを通して、〈経験の主体としての身体〉に着目して、これまでの心理学研究では見落とされていた他者と「共にあること」の意味を問い直す。
内容説明
「他者理解=分かる」とは別の「つながり」とは?私たちにとって生きることの力となる、実感を伴った他者との「つながり」とはどのようなものだろうか?本書では、著者自身が体験した三つの事例(父の闘病生活を共にする体験、保育園での二人の子どもとのかかわり)のエピソードなどを通して、“経験の主体としての身体”に着目して、これまでの心理学研究では見落とされていた他者と「共にあること」の意味を問い直す。
目次
他者との「つながり」への問い
第1部 他者と「共にある」とはどういうことか―心理学における「志向する身体」の欠落(これまでの他者理解研究に抜け落ちていたもの;人間を主体として捉える―“経験の主体としての身体”への回帰)
第2部 「実感」の次元における知を求めて(現象学的態度―自明性を問い直す志向性;関与観察という方法;体験の記述による実感に根ざした知)
第3部 三つの事例から(身体を介した世界や他者との「交わり」―保育の場における子どもとのかかわりから;「なんでもない時間」を共有すること―保育の場における「気になる子」とのかかわりから;「つながり」の再形成―父の闘病生活を共にする経験から)
他者と「共にある」こととしての「つながり」
著者等紹介
藤井真樹[フジイマキ]
1978年生まれ。2017年京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、名古屋学芸大学ヒューマンケア学部講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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テツ
しゅんぺい(笑)
saiikitogohu
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- 和書
- 実践インド占星術