他者と「共にある」とはどういうことか―実感としての「つながり」

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他者と「共にある」とはどういうことか―実感としての「つながり」

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  • サイズ A5判/ページ数 265p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784623085828
  • NDC分類 361.45
  • Cコード C3011

出版社内容情報

他者とのつながり、今これほど希求され人々の口に上る言葉も他にない。しかし自明とも思われるこの言葉が何を指しているのか。それを明確にしようとするととたんに苦労する。藤井さんは他者とのつながりを、かかわりの内側から把握する。その方法はよく練られ、エピソードの記述は豊かである。対人支援において生じる未知の領域に踏み込んだ力作である。
森岡正芳(神戸大学名誉教授)


「他者理解=分かる」とは別の「つながり」とは?
私たちにとって生きることの力となる、実感を伴った他者との「つながり」とはどのようなものだろうか? 本書では、著者自身が体験した三つの事例(父の闘病生活を共にする体験、保育園での二人の子どもとのかかわり)のエピソードなどを通して、〈経験の主体としての身体〉に着目して、これまでの心理学研究では見落とされていた他者と「共にあること」の意味を問い直す。

内容説明

「他者理解=分かる」とは別の「つながり」とは?私たちにとって生きることの力となる、実感を伴った他者との「つながり」とはどのようなものだろうか?本書では、著者自身が体験した三つの事例(父の闘病生活を共にする体験、保育園での二人の子どもとのかかわり)のエピソードなどを通して、“経験の主体としての身体”に着目して、これまでの心理学研究では見落とされていた他者と「共にあること」の意味を問い直す。

目次

他者との「つながり」への問い
第1部 他者と「共にある」とはどういうことか―心理学における「志向する身体」の欠落(これまでの他者理解研究に抜け落ちていたもの;人間を主体として捉える―“経験の主体としての身体”への回帰)
第2部 「実感」の次元における知を求めて(現象学的態度―自明性を問い直す志向性;関与観察という方法;体験の記述による実感に根ざした知)
第3部 三つの事例から(身体を介した世界や他者との「交わり」―保育の場における子どもとのかかわりから;「なんでもない時間」を共有すること―保育の場における「気になる子」とのかかわりから;「つながり」の再形成―父の闘病生活を共にする経験から)
他者と「共にある」こととしての「つながり」

著者等紹介

藤井真樹[フジイマキ]
1978年生まれ。2017年京都大学大学院人間・環境学研究科共生人間学専攻博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、名古屋学芸大学ヒューマンケア学部講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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テツ

20
他者と共にある、共にいるという関わりについて「お互いを理解し合う」などという冷静に考えてみたら不可能に近い条件を(無意識にでも)挙げる方はわりと多いと感じるが「わかりあうこと」ってそもそも共にあるために本当に必要不可欠な条件なんだろうか。ただ一緒にあること。ただ一緒に近くにいること。同じ場所で暮らし、同じ風景を眺めて、同じ季節の香りを一緒に味わう。そうした中からつながりの実感は育まれるのだろうし、その営みのためには別に内面の理解など必要としていない。概念としてではなく、実感としての「つながり」の重要さ。2022/08/08

しゅんぺい(笑)

1
なるほどねえ。つながりっていうことを、相手と関わるとか、理解するっていうものを条件として定義するんじゃなくて、ただ一緒にいることもつながることの一つとする。一緒にいて、相手の見ている景色を一緒に見る。相手のしていることを一緒にしてみる。一度一緒に過ごしてみてから、そのことの意味を考えてみる。それなしにつながるってことを考えると、間違ってしまうんじゃないか。こういう話、好きやな。自分としても、突き詰めていきたいところ。2020/01/15

saiikitogohu

0
「本書では、「他者との実感を持ったつながりとは何か」について探る…「わかる」こととは別の「つながり」と言うあり方があるのではないか」5「一般的に、他者について「考える」ことは、他者を「分かろう」とするが故の行為、あるいは「わかる」ことを前提にした行為であると考えられている。…しかし、一方で母は、相手の立場になって、という自他の置換えなど不要な次元で、祖母の苦しい有り様を共に生きて…あるいは他者を分かろうと言う次元にいる時、逆説的にも、人は他者に対して操作的になり…深くつながると言うことには至らない」132021/01/29

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