内容説明
一九二〇年代半ばから一九三〇年代半ばにかけて、日本の知識青年の精神を鷲掴みにしたマルクス主義。本書は、マルクス主義文学運動や日本資本主義論争に示される、文学・哲学から社会科学にわたるその衝撃の実相を、神原泰、高見順、蔵原惟人、三木清、山田盛太郎、柴田敬、小林秀雄、中村光夫などの思想的営為に即して明らかにする。鋭く柔らかくそして鮮やかに解読された昭和戦前期知のドラマ。
目次
1 時代とマルクス主義(左傾の時代―神原泰の場合;転向の時代―高見順の場合)
2 前衛としての知(美の理論―蔵原惟人の議論から;アントロポロギーとイデオロギーの理論―三木清の議論から;日本資本主義の理論―山田盛太郎の議論から;経済学の理論―柴田敬の議論から)
3 マルクス主義が残したもの(「私小説論」再読―小林秀雄とマルクス主義;「私小説論」再読(続)―小林秀雄と中村光夫
貧困の構造―再び山田盛太郎の議論から)
著者等紹介
寺出道雄[テラデミチオ]
1950年東京に生れる。1974年慶應義塾大学経済学部卒業。現在、慶應義塾大学経済学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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うえ
9
小林秀雄は「マルクス主義作家たちが、公式主義によって自らこうむることになった、自己否定ないし自己圧殺にともなう苦痛や苦悩には、一切の同情をしめさない。彼は、マルクス主義作家たちの間で生れた公式主義を非難する議論、「公式主義がどうのかうのといふ」議論を、「詰らぬ問題」と一蹴する。小林にとって、マルクス主義作家たちの作品が、「思想によつて歪曲され、理論によつて誇張された結果」として、架空的人間の群を描きだすことになったかもしれないと評価することは…運動…を高く評価することと、思想的に矛盾するものではなかった」2019/06/11
uehara
0
都市文化として受容されたマルクス主義、ゆえにプロレタリア文学をめぐる議論を補助線に経済学や哲学にいたるまでその達成もふくめて述べられる。何よりも読みやすい。 とくに山田盛太郎『日本資本主義分析』にロシア・アヴァンギャルドの"世界観・社会観を幾何学的な図形で模型化"をみて、その意味を分析するところになるほどと。全体を通して、思想は単なる理論に還元できないことがわかる。2025/08/08
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