内容説明
北政所おね(一五四二~一六二四)豊臣秀吉の正室。夫没後は高台院と称する。秀吉の出世と天下統一を支えた北政所おね。夫留守中の公務や、養子女や家臣の教育など、正室として果たした幅広い役割の全貌と、秀吉との婚姻から大坂城落城までの一部始終を見つめた生涯を明らかにする。
目次
序章 「北政所」の生涯と役割とは
第1章 藤吉郎との婚姻
第2章 城主の妻
第3章 領国主の妻として
第4章 「天下人」秀吉の妻への道
第5章 「てんか」秀吉の妻
第6章 「太閤」秀吉とおね
第7章 関ヶ原合戦と「北政所」
第8章 関ヶ原合戦後のおね
終章 豊臣政権の「かかさま」として
著者等紹介
田端泰子[タバタヤスコ]
1941年神戸市生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。京都大学文学博士。現在、京都橘大学学長。専攻は日本中世史・日本女性史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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うしうし
5
北政所おねは豊臣秀吉の妻であるため、本書は秀吉の事績を評価することに終始している感がある。その中で正妻としてのおねの役割、すなわち養子や人質の養育義務・大名の妻子や重臣たちとの交友が重要な意義をもったことを明らかにする。このようなおねの役割拡大の中で、秀吉はおねに対し大名並みの1万石以上の所領を給付した(p155~)。なお、「はじめに」によると、おねと淀殿は対立関係にあったのではなく、秀吉死後の後家役割を分担していたという説は田端センセが最初に提唱したらしい。これについては本書では詳しく触れられていない。2019/05/05
さうす
0
北政所というよりは北政所の周辺への言及が多かった印象。2020/07/14