- ホーム
- > 和書
- > 人文
- > 哲学・思想
- > 構造主義・ポスト構造主義
出版社内容情報
哲学の言語を形而上学的言説から解放しようとした20世紀最大の哲学者ジャック・デリダ。その鍵となるのが文学的想像力である。
文学的想像力とは、哲学で文学を読むということではない。デリダが哲学者として哲学テクストを読解するとき、文学的想像力がもっとも発揮されているのだ。
形而上学的言説を内破させ、その破れ目に他なるものの語りを招来した前期デリダ、動物論の形而上学的性質を暴露しつつ単独者を語ろうとした後期デリダ、その困難な試みには一貫して文学的想像力が働いている。
脱構築とは、対象の脱神話化ではなく、他なる語りの招来である。「その語りは、記憶と喪に関わり、虚構的であり、自伝的であり、詩的である。そのような、ほとんど矛盾すれすれの変容を、デリダは、哲学史に燦然と輝く著作に対して企て、そして、自らも身をもって実践したのだ」(「あとがき」より)。
1960年代から晩年まで、デリダが何をしてきたのかを精緻に読解し、その尽きせぬ可能性を照らし出す、新たなデリダ論。
【目次】
はじめに 脱構築は「文学的」テクスト読解である――「デリダと文学」から遠く離れて
第一部 他なる語りのインヴェンション
I 「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ――構造主義隆盛のなかで(1960年代)
第一章 中動態という隠喩――バルト、デリダ
第二章 バルトによるバンヴェニスト
第三章 スキャンダルかありふれた話か――バルト、デリダ
II 摩滅の形而上学に抗して――隠喩論隆盛のなかで(1970年代)
第四章 言語/思考の場――デリダ、バンヴェニスト
第五章 「白い神話」という神話
第六章 一般的隠喩論の不可能性へ向けて
第七章 摩滅と類比のエコノミー
第八章 形而上学の壮大な連鎖、あるいは、星を太陽とみなすこと
III プロソポペイアの方へ――インヴェンションの時代に(1980年代)
第九章 他なる語りのインヴェンション
第十章 アポカリプスとインヴェンション
第十一章 発明の再発明の夢
第十二章 鏡を破るプシュケー、アイロニーのアレゴリー
第十三章 「メモワール」の保持と欠如
第十四章 プロソポペイア、未来からの遂行的発話
第十五章 虚構と真実の間の滞留
第二部 デリダの文学的想像力――1960年代~2000年代
第十六章 デリダと(は)自動車(である)――晩年のセミネール紹介を兼ねて
第十七章 アブラハムから雄羊へ――動物たちの方を向くデリダ
第十八章 自己を/で織る詩――蚕になるデリダ
第十九章 L’enfant que donc je suis、あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか
第二十章 近い他者 遠い他者――デリダと文学的想像力
第二十一章 デリダにおける《ミッション:インポッシブル》――灰、自伝、エクリチュール
注
あとがき
内容説明
哲学を形而上学から解放しようとしたデリダ。その核心には文学的想像力がある。初期から晩年までの思想を精緻に読解し、デリダが何をしてきたのかを明らかにする。
目次
第一部 他なる語りのインヴェンション(「私は書く」の現前性から「私は死んでいる」の可能性へ―構造主義隆盛のなかで(一九六〇年代)
摩滅の形而上学に抗して―隠喩論隆盛のなかで(一九七〇年代)
プロソポペイアの方へ―インヴェンションの時代に(一九八〇年代))
第二部 デリダの文学的想像力―一九六〇年代~二〇〇〇年代(デリダと(は)自動車(である)―晩年のセミネール紹介を兼ねて
アブラハムから雄羊へ―動物たちの方を向くデリダ
自己を/で織る詩―蚕になるデリダ
L’enfant que donc je suis’あるいは、猫のエピソードはなぜ「自伝的」なのか
近い他者 遠い他者―デリダと文学的想像力
デリダにおける《ミッション:インポッシブル》―灰、自伝、エクリチュール)
著者等紹介
郷原佳以[ゴウハラカイ]
1975年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。パリ第7大学大学院テクストとイメージの歴史と記号学研究科博士課程修了。フランス文学専攻。現在、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
-
- 電子書籍
- モラハラ夫から逃げるため田舎に移住した…
-
- 電子書籍
- 知らぬが仏も知れば花~彼女で彼氏な私の…
-
- 電子書籍
- 株を買うなら最低限知っておきたい ファ…
-
- 電子書籍
- たった30パターンで英会話! - 「言…
-
- 和書
- ふとどき文学館



