出版社内容情報
もしもふるまいや言葉において、生と規則が区別できないとしたら。そして物の使用が所有と無関係で、法の外にある生活が可能だとしたら、どうだろう。
神的なものと人間的なものが織りなす修道院の規則は、教義や掟ではなく、生の次元に位置する体験であった。それは西洋の政治と倫理に影響を与えつづけてきたが、現代はその遺産を考察さえできないでいる。
砂漠の聖者アントニオス。東西教会の代表的教父・バシレイオスとアウグスティヌス。アッシジのフランチェスコと後継の理論家たち。神秘家オリヴィ。イエスの〈貧しさ〉に従う修道者たちは、異端の疑いと背中合わせの中で、清貧の思想を鍛えぬいてきた。
とりわけフランシスコ会の兄弟たちは、所有権を拒否するだけでなく、「いかなる権利ももたない権利」を掲げて、法の外で生きようとした。アガンベンは彼らの言論に、大量消費社会を超える可能性を見る。
生きることがたんなる事実ではなく、生の可能性であるような生。国家という形態をとらない政治の可能性を考えるべく、アガンベンがかねて予告していた〈生のかたち〉、すなわち分離できないほど形式と固く結びつき、「生政治」に回収されない生を構築する探求が、ここに手がけられた。「ホモ・サケル」シリーズの一冊。
内容説明
物を所有せずに使用する。アッシジのフランチェスコらの托鉢修道者に、大量消費社会を超える可能性を読む。
目次
1 規則と生(規則の誕生;規則と法律;俗世からの逃亡と創憲)
2 典礼と規則(生の規則;口述と書記;典礼のテクストとしての規則)
3 “生の形式”(生の発見;法権利を放棄する;いと高き貧しさと使用)
解説 所有することなき使用―アガンベンの『いと高き貧しさ』をめぐって
著者等紹介
アガンベン,ジョルジョ[アガンベン,ジョルジョ] [Agamben,Giorgio]
1942年ローマ生まれ。ヴェネツィア建築大学教授を務めたのち、現在はズヴィッツェラ・イタリアーナ大学メンドリジオ建築アカデミーで教えている
上村忠男[ウエムラタダオ]
1941年兵庫県尼崎市生まれ。東京大学大学院社会学研究科(国際関係論)修士課程修了。東京外国語大学名誉教授。学問論・思想史専攻
太田綾子[オオタアヤコ]
1947年東京生まれ。フィレンツェ大学教育学部イタリア語・イタリア文学科卒業、教皇庁立ウルバノ大学マーテル・エクレシエ短期大学(宣教カテケーシス専攻)卒業。教皇庁グレゴリアン大学聖書学院でヘブライ語・ギリシア語を学ぶ。滞伊26年、1991年に帰国。日伊協会講師(1989‐97)。1993年イタリア語通訳翻訳会社「アド・イタリア」設立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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