出版社内容情報
幼少時から「息をするように絵をかいてきた」画家・設楽知昭は、ある時、絵をかくとはどういうことかがわからなくなった。ぐにゃぐにゃになり、血みどろになり、言いよどみながら、生や死という、人間であればだれもが対峙するものと向き合う画家。そのリハビリテーションの試みを、美学研究者が追った。
著者が画家を観察しつつ、芸術制作をみる基礎においたのは、ギリシア語の「中動態」すなわち能動/受動、主体/客体の対立とは別の考え方だ。
見ることとかくことが直結して反転するよう、鏡に指で描いて写し取る。等身大の人形を吊ってポリエステルフィルムにトレースをする「人間写真機」。透過光と反射光の原理。人工夢―透明壁画。二つ折り。雲と穴。模型。妄想をかくのでなく、かくこと自体が妄想であった大きなノート。
いつしか絵とそうでないものとの区別が働かなくなり、力の抜けた「無為の場」が現れる。絵をかきながら、そんな〈仕組みをつくる〉こと。自分を自分として生きるという希望、すなわち「自由」。
画家は愛知県立芸術大学教授として長年、学生の教育にも尽力してきた。学生と対話し、技法やアイデアの練り方を語っている。画家にとっての幸せとは、人が幸せに生きるとは。論考・対話・画集を一冊にした美しい本。
内容説明
自分を自分として生きるという希望、すなわち「自由」。絵をかくとは何かがわからなくなった画家の回復、生きのびるためのヒント。
目次
1 絵を描くことがわからなくなった画家(生きるために;絵が生き続けるために;絵を生き続けさせるものたち;絵の幸せ)
2 シタラと学生の対話(“大きな私と小さな私”;“片腕ノ私ガ手ヲ洗オウトスル”;タイトルをつけるということ;線でかくことについて思うこと;白土舎の個展;“透明壁画―人工夢”;凸と凹の絵;“ロボットになって街を歩いた”;“母の炎”“ピアニカ・ガール”;“胴切り”“空穴”“クピドの現われる街”“曇空二穴ノ空イテイル絵”;“ホテル・パシフィカ”;「五十年分の光の映画」(芸術祭のパンフレットの挨拶文)より
“二つ折りにして封筒にいれました 手紙”
“鏡”“鏡ヨリモノタイプ”
“モレスキンの大きなノート”)
著者等紹介
秋庭史典[アキバフミノリ]
1966年、岡山市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了(美学美術史学)。博士(文学)。名古屋大学大学院情報学研究科准教授。専門は美学。現在は、未来社会における幸せとは何か、そのために美学や芸術学は何ができるかという視点から研究を行っている。2018‐2020年度、文化庁メディア芸術祭アート部門審査員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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