出版社内容情報
「ぼくは、うまくいかなくても撮るし、うまくいっても撮る。一度シャッターを切り始めたら、トコトンまで撮らずにはいられなくなる。」
土門拳、65歳の時の初エッセイ集。「デモ取材と古寺巡礼」「スランプを恐れないこと」「梅原龍三郎を怒らせた話」「アマチュアはなぜ写真が下手か」「手でつかめる風景」… 自らの生い立ちから始まり、丁々発止の肖像写真撮影、一筋のしわをも逃さずとらえて不評だった話、ままならぬ右足の悔しさ、アマチュア写真家への激励、写真哲学などが生き生きと、克明に語られていく。
戦後日本の矛盾と、日本人を凝視した眼光の鋭さが、文章に刻みつけられている。その強靭な写真の謎を、土門拳自らが明かす。
内容説明
写真とは何か。日本とは何か。土門拳、65歳のときの初エッセイ集。自らの生い立ちから始まり、丁々発止の肖像写真撮影。一筋のしわをも逃さずとらえて不評だった話、ままならぬ右足の悔しさ、アマチュア写真家への激励、写真哲学などが、生き生きと、克明に綴られていく。戦後日本の矛盾と日本人を凝視した眼光が、文章に刻みつけられている。その強靱な写真の謎を、土門拳自らが明かす。
目次
ぼくの名前
略歴
不愉快な写真の話
デモ取材と古寺巡礼
現状
寝顔
棺の上に飾る写真
事実ということ
自写像
自叙伝
死ぬことと生きること
明成園
スランプを恐れないこと
写真は沢山撮らなければならぬ
写真家志望の青年へ―弟子になりたいという手紙に答えて
肖像写真のこと雑話
梅原龍三郎を怒らせた話
女の写真
おでこのしわ
ルイ・ジュヴェの眼玉
久保田万太郎の鼻
マダム・マサコの頬骨
近藤勇の写真
リアリズムということ
肖像写真について
連作と組写真
画題のつけ方―画題は発想と直結する
リアリズムは自然主義ではない
人間の目、カメラの目
アマチュアはなぜ写真が下手か
風景写真
手でつかめる風景
赤いタンツボの話―私の作画精神
著者等紹介
土門拳[ドモンケン]
1909年山形県生まれ。戦後を代表する写真家。1933年、宮内幸太郎写真場に入門。1935年、名取洋之助主宰の日本工房に入社。報道写真家として出発。国内外で高い評価を得る。1959年、筑豊取材後に脳出血に倒れる。回復後1968年、取材中に脳出血に倒れる。その後リハビリに励み、退院後は車椅子で撮影を続ける。1973年、紫綬褒章を受章。1979年に脳血栓で倒れ、昏睡状態が11年続く。1981年、毎日新聞社が土門拳賞創設。1983年、故郷の酒田市に土門拳記念館開館。1990年、80歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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原玉幸子
タロウ