出版社内容情報
「なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。二十年前の六月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか」(須賀敦子「トリエステの坂道」)。
イタリアの辺境トリエステに生きた20世紀屈指の詩人サバ、そのはじめての邦訳詩集である。全詩集『カンツォニエーレ』をつねに傍らに置いていた訳者は、自身のエッセーにもときおり、この詩人の一節を引用した。「閉じこもった悲しみの日々にわたしが/自分を映してみる一本の道がある」。
そしていま、ゆっくりと日本語に移された詩作品68篇が一冊の本となった。前期の代表作『トリエステとひとりの女』『愛ゆえの棘』、物語のような詩集『自伝』から、晩年の『地中海』の絶唱まで、ここに選ばれたどの一篇をとっても、この詩人と翻訳者のたぐいまれな出会いを明かすものであり、読む者に慰めと歓びを与えてくれるだろう。
ウンベルト・サバ[ウンベルトサバ]
イタリアの詩人。1883年トリエステで生まれた。母親がユダヤ系であり、誕生以前に父親が出奔したため、不幸な幼年時代を送った。中等教育を修了せぬままに就職したが、第一次大戦後、晩年にいたるまで郷里で古書店を経営した。最初『わが処女詩集』(1903)を自費出版するが、『詩集』(1911)により『ヴォーチェ』誌に認められる。次いで『軽くて漂うものたち』(1920)を、1921年には、『愛ゆえの棘』およびそれまでの作品を網羅して『カンツォニエーレ』を出版したが、エルメティズモの純粋詩が主流を占めてゆく時代の風潮に迎えられず、ごく一部の評者に認められただけであった。第二次大戦後、独自の詩学の展開のうえに編集しなおした第二の『カンツォニエーレ』(1948、決定版1961)を発表するに及んで名声が確立した。平明な口語による自伝的・物語的要素を素材とし、これを伝統的な詩法を巧妙に駆使して、透明な音楽性に支えられた詩行に変え、虚構化してゆくサバの手法は他に類がなく、モンターレと並んで20世紀イタリア最大の詩人といわれる。〔須賀敦子・記〕
須賀敦子[スガアツコ]
1929-1998。作家・イタリア文学者。著書『ミラノ 霧の風景』(1990、白水社、女流文学賞、講談社エッセイ賞)をはじめ、著作は『須賀敦子全集』(全8巻+別巻、河出書房新社、2000-2001)に集成されている。訳書 ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』(1985、白水社)、『マンゾーニ家の人々』(1988、白水社、ピコ・デラ・ミランドラ賞)、『モンテ・フェルモの丘の家』(1991、筑摩書房)、アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』(1991、白水社)、『遠い水平線』(1991、白水社)、『島とクジラと女をめぐる断片』(1995、青土社)、『逆さまゲーム』(1995、白水社)、イタロ・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』(1997、みすず書房)、『ウンベルト・サバ詩集』(1998、みすず書房)ほか。
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