マティスとルオー 友情の手紙

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マティスとルオー 友情の手紙

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  • サイズ A5判/ページ数 263,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622085645
  • NDC分類 723.35
  • Cコード C1070

出版社内容情報

美術学校で共に学んで以来、強い友情で結ばれていた二人。半世紀に渡り交わされた手紙がここに明らかになる。美術史を語る貴重な資料「君がそれをやるべきだよ!」――マティス。
「もっといい絵を描きたい」――ルオー。
気質も画風も好対照。それゆえに惹かれ合い、ライバルとして高め合ってきたマティスとルオー。ふたりはパリ国立美術学校のギュスターヴ・モロー教室で出会って以来、マティスの死の直前まで50年にわたり手紙を交わし、家族ぐるみの交流をつづけた。恩師との思い出、フォーヴィスムの誕生、画商への愛憎、贋作騒動、「聖なる芸術」への熱情――ふたりの巨匠の創作の舞台裏。

2006年、かつてのルオーのアトリエで、マティスからルオー宛の手紙が発見された。以来、編者マンクをはじめ関係者による解読が進められる。真の教育者モロー、当代随一の画商ヴォラール、稀代の出版人テリアード、ヨーロッパ美術の渡し守りP・マティス……フランス絵画界の陰の立役者たちの人間ドラマが展開する、美術史の第一級史料。
図版75点、詳細年譜、関連地図を収録。

編者によるまえがき

マティス=ルオー往復書簡 1906-1953年

1906-07年 サロン・ドートンヌ事件
    マティスとコリウール
1930年 ふたりのマティス
    ニューヨークのピエール・マティス画廊
1934年 画商との確執
    ルオーとヴォラール
1937-38年 絵付けと舞台美術
    テリアードの挿絵本
1941年 占領地区と自由地区
    「熱意あふれる渡し守り」
1944年 解放前夜
1945年 ボノムという画家
1946年 「黒は色である」
    ルオーの初期版画――『ミセレーレ』と『ユビュおやじの再生』
1947年 ヴォラール裁判
1949年 聖なる芸術
1951年 古いなかンま
1952年 ユネスコ世界会議
1952-53年 最後の邂逅に向けて
    マティスへの質問状
1954年 エピローグ

謝辞
訳者あとがき  後藤新治
補遺  増子美穂
年譜
往復書簡一覧
図版一覧
訳註
原註
索引

ジャクリーヌ・マンク[ジャクリーヌ マンク]
現在パリ市立近代美術館学芸部長。専門はフォーヴィスムを中心にした近現代美術史。「ジャン・ピュイ ブルターニュのフォーヴ」展(1995)をはじめとして「フォーヴィスムあるいは〈火の試練〉 ヨーロッパにおけるモデルニテの爆発」展(1999)「マティスとドラン フォーヴィスムの真実」展(2005)など重要な展覧会を国際的に企画監修。近年では同館で「戦下の芸術 フランス1938-1947」展(2012)を共同企画し注目を集めた。『マティスとルオー 友情の手紙』を編集(後藤新治他訳、パナソニック 汐留ミュージアム監修、みすず書房、2017)。

後藤新治ほか[ゴトウシンジ]
1950年福岡県に生まれる。九州大学工学部卒業後同大学文学部修了。北九州市立美術館学芸員を経て、現在西南学院大学国際文化学部教授。著書『ルオーの「ミセレーレ」』(北九州市立美術館・中央公論美術出版、1980)『出光美術館蔵品図録 ルオー』(共著、平凡社、1991)ほか。訳書 ゴンブリッチ『芸術と進歩 進歩理念とその美術への影響』(共訳、中央公論美術出版、1991)、『マティスとルオー 友情の手紙』(共訳、みすず書房、2017)。

内容説明

気質も画風も好対照。そめゆえに惹かれ合い、ライバルとして高め合ってきたマティスとルオー。ふたりはパリ国立美術学校のギュスターヴ・モロー教室で出会って以来、マティスの死の直前まで50年にわたり手紙を交わし、家族ぐるみの交流をつづけた。恩師との思い出、フォーヴィスムの誕生、画商への愛憎、贋作騒動、「聖なる芸術」への熱情―ふたりの巨匠の創作の舞台裏。図版75点、詳細年譜、関連地図を収録。

目次

1906‐07年 サロン・ドートンヌ事件
1930年 ふたりのマティス
1934年 画商との確執
1937‐38年 絵付けと舞台美術
1941年 占領地区と自由地区
1944年 解放前夜
1945年 ボノムという画家
1946年 「黒は色である」
1947年 ヴォラール裁判
1949年 聖なる芸術
1951年 古いなかンま
1952年 ユネスコ世界会議
1952-53年 最後の邂逅に向けて―マティスへの質問状
1954年 エピローグ

著者等紹介

マティス,アンリ[マティス,アンリ] [Matisse,Henri]
1869‐1954。1869年、ノール県ル・カトー=カンブレジの穀物卸売商人の家に生まれる。1887年パリに出て法律を学ぶが画家を志し、1892年国立美術学校のモロー教室に入る。1905年コリウール滞在中に試みた新印象主義的な表現を経て、同年のサロン・ドートンヌでは「フォーヴ」誕生の中心的役割を果たす。1917年ニース滞在期以降は自然主義的な画風に戻るが、デッサンと色彩とを融合する「切り紙絵」へと到達。1951年のヴァンス礼拝堂はその集大成である

ルオー,ジョルジュ[ルオー,ジョルジュ] [Rouault,Georges]
1871‐1958。1871年、パリの家具装飾職人の家に生まれる。1885年ステンドグラス職人に弟子入りするが、絵画専念のため1890年国立美術学校ドローネー教室、92年モロー教室に入る。1903年サロン・ドートンヌ創設に参加。アカデミックな画法は一変し、道化師、娼婦、裁判官など社会的な主題が登場する。1920年代の銅版画集『ミセレーレ』制作以降、マティエールは豊かさを増し色彩はより輝かしくなる。晩年の油彩画は宗教的至高性へと到達した

マンク,ジャクリーヌ[マンク,ジャクリーヌ] [Munck,Jacqueline]
現在パリ市立近代美術館学芸部長。専門はフォーヴィスムを中心にした近現代美術史。重要な展覧会を国際的に企画監修

後藤新治[ゴトウシンジ]
1950年福岡県に生まれる。九州大学工学部卒業後同大学文学部修了。北九州市立美術館学芸員を経て、西南学院大学国際文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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