ロラン・バルト著作集 〈7(1970)〉 記号の国 石川美子

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 199p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784622081173
  • NDC分類 958
  • Cコード C1310

出版社内容情報

1966年5月にはじめて日本を訪れたバルトは、それから2年たらずのあいだに三か月間も日本で過ごした。そこでの幸福感と解放感は、バルト自身の知的風景や活動を一変させてしまう。そこで口をついて出た「身体」「断章(フラグマン)」「ロマネスク」という概念は1970年代を通してバルトにとって重要なものとなる。本書は、この日本体験から生まれ、これまで『表徴の帝国』として読まれてきた名著の、30年ぶり、まったく新しいみごとな翻訳である。このたび、スキラ社版オリジナルの構成を尊重して、カラー図版をそのままに、テクストと写真の交錯を体験できるようにした。訳者による精密な解説「俳句に誘われて――断章と写真と小説」を巻末に付している。

-------------------------------
ロラン・バルト著作集 全10巻
 既刊 1 文学のユートピア
    3 現代社会の神話
    7 記号の国
    10 新たな生のほうへ
--------------------------------

ロラン・バルト(Roland Barthes)
1915年生まれ。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1975年に彼自身が分類した位相によれば、(1)サルトル、マルクス、ブレヒトの読解をつうじて生まれた演劇論、『現代社会の神話(ミトロジー)』(2)ソシュールの読解をつうじて生まれた『記号学の原理』『モードの体系』(3)ソレルス、クリテヴァ、デリダ、ラカンの読解をつうじて生まれた『S/Z』『サド、フーリエ、ロヨラ』『記号の国』(4)ニーチェの読解をつうじて生まれた『テクストの快楽』『彼自身によるロラン・バルト』などの著作がある。そして『恋愛のディスクール・断章』『明るい部屋』を出版したが、その直後、1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった。バルトの単行本はすべて、みすず書房から刊行される。

石川美子(いしかわ・よしこ)
1980年、京都大学文学部卒業。東京大学人文科学研究科博士課程を経て、1992年、パリ第VII大学で博士号取得。フランス文学専攻。現在、明治学院大学教授。著書『自伝の時間――ひとはなぜ自伝を書くのか』(中央公論社)『旅のエクリチュール』(白水社)ほか。訳書 モディアノ『サーカスが通る』(集英社)フェーヴル『ミシュレとルネサンス』(藤原書店)『新たな生のほうへ』(ロラン・バルト著作集10、みすず書房)ほか。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ヴェネツィア

302
1960年代の終わりに、ロラン・バルトは3度日本を訪れ、総計で3か月間ほど日本に滞在した。本書は彼が日本に触発されて書いた本なのだが、日本論ではない。あくまでも、彼の「日本エクリチュール」である。したがって、日本への理解が表層的であるといったような見方はあたらない。むしろバルトの視線を楽しむのがいいだろう。例えば、彼は東京の中心は空虚だと言う。我々は日頃は意識しない(おそらくは多くの人にとって)のだが、言われてみれば同心円の中核に皇居があるのだから、「空虚」との指摘は、様々な意味において実に示唆的である。2016/06/02

あなた

9
これはバルトが書いた「日本論」などではなく、ニホンという空虚かつ充溢なプリズムを用いたバルトによるバルト自身の読み直し、バルト自身の逸脱=散逸なのではなかったか。すきやきやパチンコ、てんぷら、まぶたを語るバルトのエクリチュールはアリアのように美しい。それはどこでもない場所を形づくりながら、愛でもって散逸したままに、瞬間のエクリチュールとして、バルト自身でもあるニホンを指し示している2010/07/03

ラウリスタ~

5
なんか見慣れない題だと思ったら、筑摩では「表象の帝国」と訳されている例のやつです。全般に本書のなかで言及されている書名って、訳がなんか見慣れない。1966年に初めて日本を訪れたバルトが、なんか衝撃を受けちゃって、その揺り動かされたバルトが書いた本。日本について書かれているんだけれども、現実の日本ではなく、バルトが衝撃を受けたところの「日本」っていう一つの概念について書かれている。俳句という表現様式に強く引かれているよう。日本語を解さないゆえに、妙なところからの衝撃を受けることが出来たってことだろう。2012/04/28

メルセ・ひすい

5
蔵書 写真多数 ロラン・バルト彼はこの国で「閃光をあびせ」られた!稲妻に打たれたかのように日本に恋をした。・・・二年間で三度も大和を訪れ・・「日本への旅は、私の人生における重要な事件となりました。私の知的風景をいちじるしく変化させたのです・・・」 仏蘭西・超一流の批評・思想家の見た日本 客観的な日本・かなた ・見知らぬ言語 ・箸 ・・パチンコ ・三つのエクチュール ・おじぎ ・文房具店 ・記号の部屋  帯・「批評」から「ロマネスク」の方への転回。日本に恋したバルトが、そこで発見した様々な驚きを表現する2010/01/01

横丁の隠居

4
日本に来て驚いたロラン・バルトの感想文。日本理解が正しいとか間違っているということではなくて、こういう繊細な感性をもっていたということですね。我々の側からすると1966年の日本を振り返る便にもなっている。面白いのは俳句が一旦訳されて更に日本語に戻されると元の意味がなくなってしまうこと。俳句が如何に日本語と日本の慣習と日本の気候風土に多くを頼っているかがわかる。「なんとすばらしい人だろう/稲妻をみて/「人生ははかない」と思わない人は!」という三行と「稲妻にさとらぬ人の尊さよ」(芭蕉)との差は歴然としている。2019/12/12

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/3826
  • ご注意事項

最近チェックした商品