• ポイントキャンペーン

大人の本棚
耄碌寸前

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 184p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622080831
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C1395

内容説明

自らの生い立ちと観潮楼の盛衰=哀歓を重ね合わせた「観潮楼始末記」や父の死因を探る「鴎外の健康と死」をはじめ、半熟卵へのオマージュ、日本の解剖学史の逸話、シェパード犬飼育の苦労など―自制と諧謔の絶妙なバランスによって達成された随筆を精選。

目次

1(耄碌寸前;文学離絶;弱きものよ汝の名は男なり;空想半熟卵;先生の今昔 ほか)
2(臍を噛む;蛙の臍;敬礼;鯨とポプラ;抽籤 ほか)

著者等紹介

森於菟[モリオト]
明治23年(1890)に森鴎外の長男として東京上野に生まれる。昭和42年(1967)没。東京帝大医科大学を卒業。同大学医学部助教授を経て、台北帝大医学部教授、医学部長を勤め、戦後は東邦大学医学部教授・部長。東邦大学名誉教授。医学研究のかたわら多くの随筆を執筆する

池内紀[イケウチオサム]
1940年、兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

yumiha

44
周辺情報ばかり浮かんで肝心の固有名詞が全く出てこなかったり代名詞で会話を済ませがちだったりする私、「寸前」どころか「耄碌」に2、3歩踏み出してますわ💦そんな耄碌の心構えを教えていただこうと、鴎外の長男である森於菟の本書をチョイス。死という「完全なる闇に入る前に薄闇の中に身を置く」のが耄碌ならば、「正しい老化(?)」の道筋をたどっているだろう、私。他にも東大解剖学教室の死体置場で「生き返ったような気」がして「亡者諸君の歓迎」に相好をくずすエッセイにもニヤリ。団子坂にあった観潮楼始末記も興味深かった。 2021/01/21

キジネコ

39
老い耄れて碌すっぽ役に立たなくなる…を重ねて合わせて目の前に置いてみると耄碌になるらしい。鴎外先生の息子於菟さん70歳にして、その寸前にあると仰る。自身に向ければ自嘲となり、他者に向ければ侮蔑となる。男女使い分けについて耄碌爺は耳に覚えがありますが、御婦人を罵る「耄碌」の記憶はない。昨今普段使いの語彙からも離れ、御無沙汰が返って新鮮で手に取りました。味わいの良い御本。耄碌を遊ぶには未だ未だ修行の足りぬ身ですが目の奥に悪戯の火を点し、耄碌寸前と直中を行き来する煙巻き爺になるも良しと思う読了なのです。 2016/08/16

ぐるぐる244

9
森鴎外の子供たちの名前がすごい、於菟、茉莉、杏奴、類。明治の男性だから、すごく自制しているのだろうけれど、それでもぽろっと出てきてしまうエピソード(パッパはあんたのお母さんからうつった結核で死んだのよ。)は、茉莉が描いた家庭とは随分と異なる。好対照に、別荘近くに打ち上げられた多くの鯨をちゃっかり一頭骨格標本にしたり、傘を失くしてばかり、といった話には思わずにやりとする。「百歳までの読書術」で描かれた森於菟は弧絶、という厳しいイメージだったが、こんな可愛らしい一面に惹かれる。でも剥製はやめてほしいわ。2016/06/10

ぱせり

7
解剖室がらみのエッセイはちょっと苦手だったが、表題作『耄碌寸前』と『観湖楼始末記』 とても好きです。森於莵さんの耄碌ぶりは、なんと美しく上質な匂いがすることだろう。せめて、私も自分なりに美しく「耄碌」したいと思う。背伸びはしませんから。『観湖楼始末記』は、うつりゆく無常が、甘ったるくない文章で淡々と描かれているのがよかった。2012/05/01

timeturner

6
表題のエッセイが思い当たることばかりでジワジワ沁みた。複雑な家庭環境で鬱屈した人になったんじゃないかと勝手に心配していたら、仕事を愛し家庭を愛し老いを穏やかに受け止めるお爺さんになってて安心した。昔の千駄木界隈の話に興味津々。藪下道からの眺めはまるきり変わってしまった。今ではスカイツリーが見える。2018/06/24

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/703337
  • ご注意事項