内容説明
小説を読みことは、他者の生を自らの経験として生きること。それは世界を変えるささやかな、しかし大切な一歩となる。「新装版へのあとがき」を付す。
目次
小説、この無能なものたち
数に抗して
イメージ、それでもなお
ナクバの記憶
異郷と幻影
ポストコロニアル・モンスター
背教の書物
大地に秘められたもの
コンスタンティーヌ、あるいは恋する虜
アッラーとチョコレート
越境の夢
記憶のアラベスク
祖国と裏切り
ネイションの彼岸
非国民の共同体
著者等紹介
岡真理[オカマリ]
1960年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専攻は現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム思想。2009年、市民・学生有志とともに、平和をめざす朗読集団「国境なき朗読者たち」を立ち上げ、ガザをテーマとする朗読劇の上演活動を続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
85
パレスチナと近代アラブ文学を巡る静かで熱い随想。近代アラブ文学を繙きながら展開されるのは「飢えている子供たちを前にして文学に何ができるのか」というサルトルの問いに対する応答で、小説は「祈ることができる」と作者は言う。それは、それが捧げられた者たちの「救いとなることはほとんどない」。けれども、平凡な「小さな者たち」の愚かしい、しかし「生きるための痛切な闘い」を、それを通して彼らが「未来にささげた夢」を掬い上げることが、また彼らの痛みと願いを世界に開くことができるのだと語るその声こそが美しい祈りのようでした。2024/03/05
zirou1984
47
パレスチナで起きている、ホロコーストによる虐殺を経験した当事者によって行われる民族浄化という現実。根拠なき希望しか持てぬ難民、イスラム圏で生きる女性。彼ら、彼女らの姿に直面してもなお小説を読むことに意味があるのだろうか?パレスチナの困難な現実を眼差しに捉えながら、著者はその「困難さ」によって零れ落ちてしまう人間の生の価値と豊潤さをアラブ圏から生まれた作品の中から見い出していく。小説を読んでも現実は変わらない?否、あなた自身が変わればそれは現実を変えたということなのだ。震える程に素晴らしい、一生ものの書物。2016/11/15
かふ
29
最初にパレスチナのことにつて。サルトルの言葉。「アフリカで飢えているもの前で文学は可能か?」パレスチナの日々命を狙われる子供や若者たち。イスラエルが虐殺に見せない為に死者数をコントロールして、毎日数人づつ射撃するのだという。生(死)の管理はナチスのホロコーストに繋がる。そうして自爆テロの報復をするのだと。だからパレスチナの若者たちは外に出るのも命がけだった。コロナ禍になる以前から外出禁止令。そんなときに何をしているのかと言えば本を読んでいるという。少なくともそう答える者はいる。2021/05/21
おおた
27
最近イスラーム関連書を読んでいて、とうとう文学に行き着いたという感慨がある。歴史や政治学の本ではこぼれ落ちてしまう市井の人々の声を文学は掬い上げる。人の肉声を通さないと見えてこない世界があることを改めて教えてもらえる希有な一冊。平和ボケという言葉がある一方で、戦争がもたらす荒廃・疲弊した世界というのもまた思考停止につながってしまう。イスラームについていろいろ読んだ最近のことを書きました。 http://www.uporeke.com/book/?p=30252018/02/18
くまさん
22
70年前にパレスチナ人が被ったナクバ(大災厄)について無知を突きつけられるとともに、そのただなかで亡くなっていった、数に還元できない一人ひとりの声の届かなさに胸が張り裂けそうになる。土地から切り離され帰還することも許されないゴルバ(異郷)の難民に襲いかかる、イメージと記憶の抹殺に抗って、否を突きつける意志と尊厳と未来への希求を作品に刻んだカナファーニーやナスラッラーがいたことを噛みしめる。飢えた子を前にいっさいの言葉が無力であるとしても、ネーションのかなたで、文学的要請に応答する必要があるのではないか。2018/09/23