出版社内容情報
死と生にまつわる子どもの頃の記憶をベースに、さまざまな出生と死の位相をわたり歩き、死生学を「子どもの頃」の視点から考え直す。
子どもの頃、死んだらどうなると思っていたか。大人の理解とどうのか。子どもより大人のほうがわかっているのか。死を初めて意識した記憶、赤ちゃんはどこから来ると思っていたか――死と生にまつわる子どもの頃の記憶を聞き取り、フロイトやクラインの精神分析、胎児をめぐる諸研究や生殖補助技術で生まれた子どもたちなど、さまざまな出生と死の位相をわたりあるく。死生学を「子どもの頃」の視点から考え直す、かつてない試み。
内容説明
言葉によって写し取ることのできない「在ること」の不思議が子どもの内に現れてくる瞬間。子どもの頃の記憶を蘇らせ、存在と非在、不生の神秘にやわらかに近づく。
目次
プロローグ 誕生の不思議
1 死の不思議から誕生の不思議へ(子どもの頃、死をどう感じていたか―子どもの頃の「死のイメージ」;本当は兄弟がいた―夭折した姉妹・生まれてこなかった兄弟)
2 赤ちゃんはどこから来たか―誕生の謎(お母さんのおなかと赤ちゃん―赤ちゃんは出てきたのか、運ばれてきたのか、拾われてきたのか;「僕は卵を産んだことがある」―少年ハンス(フロイト)
生まれる前、僕はどこにいたの(M・クライン)
精子と卵子の結合という「知識」―知りたいけど知りたくない)
3 なぜ私を生んだのか―自分の出生・出生の偶然(出自とアイデンティティ―本当の父親ではなかった;未生怨―なぜ私を生んだのか;被投性と偶然性―気がついた時には、もう、いた;出生性―始まりと感謝)
4 生まれてこないということ―不生・未出現・潜勢力(ファラーチ『生まれなかった子への手紙』;「対象a」―『生まれなかった子どもへの手紙』を読む視点(1)
「未出現」―『生まれなかった子どもへの手紙』を読む視点(2)
「生まれてこない」という存在の仕方―「不生」(盤珪弾師)と「潜勢力」(アガンベン))
エピローグ 自分が生まれてこないこともありえた―「自分がいる」ということ
著者等紹介
西平直[ニシヒラタダシ]
1957年生まれ。信州大学、東京都立大学、東京大学で学び、立教大学助教授、東京大学准教授を経て、2007年より京都大学大学院教育学研究科教授。教育人間学、死生学、哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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