消えた将校たち―カチンの森虐殺事件

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 204,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622076483
  • NDC分類 234.9
  • Cコード C1022

出版社内容情報

1940年、忽然と消えた1万5000人のポーランド将校はどこへ行ったのか。旧版『カティンの森の夜と霧』を大幅改訂した新版。

第二次大戦中の1943年2月、西ロシアのカチン地区を占領中のドイツ軍は偶然ポーランド将校数千名の遺体を発見した。
今では、1940年春の虐殺がソ連の犯行だったことは周知の事実。しかし本書が米国で刊行された1962年当時は、米英ソは協調してヒトラー犯行説を主張、事実を隠蔽し、ソ連の一次資料も90年代まで封印されていた。
著者は若いときワルシャワ蜂起に参加し、米国に帰化したポーランド人学者。ソ連以外の関係国の資料を可能なかぎり収集し(東京の国会図書館まで調べている)、生存者の証言を集め、いわば傍証から、ソ連犯行説を固める。まるで複数の大国を相手にひとりで戦うかのように。
ポーランド将校たちはいつ、誰に、なぜ、どのように殺されたのか? 列強の隠蔽工作で誰が消されたか? ドイツ、ソ連、ポーランド三国の証拠品争奪戦の行方は? 読者は息詰まるような“ノンフィクション”を読むことになるだろう。
ソ連の崩壊後、一次資料が公開されはじめると、ザヴォドニーの主張は裏付けられた。いまだに引用頻度がもっとも高く、基本研究書でありつづける稀有な存在だ。
中野五郎訳『カティンの森の夜と霧』(読売新聞社,1963年)を大幅に改訂した新版。

【目次抄】
まえがき
1 消えたボーランド軍捕虜
2 森の墓場
3 不都合な同盟国――生者と死者
4 ソ連調査団の現地調査
5 ニュルンベルク裁判――国際政治の罪と罰
6 証拠分析
7 状況の再現――墓穴のふちへ
8 状況の再現――生死を分けたもの
9 カチン事件が生んだ戦後の諸問題

解説  根岸隆夫
原注/ソ連内務人民委員部のカチンの森虐殺事件関与者/参考資料と文献一覧/索引

内容説明

ポーランド指導階級の抹殺をはかったのはソ連か、ナチ・ドイツか。なぜ米英ソは戦後もドイツ犯行説に加担したか。一次資料封印の中で真実を突きとめた記念碑。

目次

1 消えたポーランド軍捕虜
2 森の墓場
3 不都合な同盟国―生者と死者
4 ソ連調査団の現地調査
5 ニュルンベルク裁判―国際政治の罪と罰
6 証拠分析
7 状況の再現―墓穴のふちへ
8 状況の再現―生死を分けたもの
9 カチン事件が生んだ戦後の諸問題

著者等紹介

ザヴォドニー,J.K.[ザヴォドニー,J.K.][Zawodny,J.K.]
1921‐2012。ワルシャワに生まれる。1944年、国内軍(AK)少尉としてワルシャワ蜂起に参加、敗北して南ドイツの補虜収容所に送られる。解放後は中尉としてアンデルス将軍指揮下のイタリア戦線で戦う。1948年、ソ連傀儡政権がポーランドに成立すると、渡米して帰化。スタンフォード大学で博士号取得。その後プリンストン、オクスフォード、ワシントン各大学他で政治学と国際関係論を教える。1979‐1984、カーター、レーガン両政権で国家安全保障会議顧問を務める

中野五郎[ナカノゴロウ]
1906‐1972。東京に生まれる。1931年朝日新聞社入社。1941年太平洋戦争開戦により、ニューヨーク特派員のまま米国に抑留される。1942年交換船で帰国。1948年朝日新聞社を退社し、以後は第二次大戦に関する執筆と翻訳に専念

朝倉和子[アサクラカズコ]
翻訳家(SWET会員)、ピアニスト。訳書には片柳和子名義のものもある。マーティン『北朝鮮「偉大な愛」の幻』(全2巻、青灯社、2007。朝日新聞アジア太平洋賞特別賞受賞)他

根岸隆夫[ネギシタカオ]
フランス政府給付留学生としてパリの国立政治学院で欧州政治史を学ぶ。ドイツで欧州全体主義を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

キムチ

59
装丁の無数のボタンの写真は、当時ソ連に理由すら告げず強制的に連行された25000名のポーランドの幹部将校・そうそうたる知識人らの内 4500人余がカチンの森の集団墓穴で見つかった遺体の服についていたもの・・もはや、何も語らぬが現在、何も感じぬのは今のロシアだけでないだろうか。9~12層に重ねて放り込まれた遺体が偶然に発見されたのは1943.殺害の事実は1940か。筆者はほぼ西側の資料と推測だけでこの著を世に問うた。この歳まで生きて20C最大の悪魔の所業はナチス・ヒトラーのなせるものと思ってきただけに衝撃2022/06/23

星落秋風五丈原

38
 第二次大戦中の1943年2月、西ロシアのカチン地区を占領中のドイツ軍は偶然ポーランド将校数千名の遺体を発見した。今では、1940年春の虐殺がソ連の犯行だったことは周知の事実。しかし本書が米国で刊行された1962年当時は、米英ソは協調してヒトラー犯行説を主張、事実を隠蔽し、ソ連の一次資料も90年代まで封印されていた。「将来おそらく、各国は勇気と叡智をもってすべての犯罪を-戦勝国か敗戦国にかかわりなく-審理する法廷を確立するだろう。」著者の言葉に挙げられた法廷は、まだ実現していない。 2022/05/14

アトレーユ

19
カティンの森、という単語は聞いたことがあっても、中味はよく知らず。当時のソ連・ドイツの関係も興味深く描かれている。単に『ジェノサイド? かわいそうに…信じられないよ』といい人ぶって胸を痛めるだけではない、客観的なデータによる、事件の概要と当時の国際政治の動きもわかり、気づけば真剣に読んでいた。2017/02/25

ののまる

18
1940年4月〜7月にかけて、スターリンの指示により秘密警察NKVDが処刑したポーランド将校ら2万2000人。本書は今から50年前の発行だが、ソ連がナチスドイツに罪を着せ、また連合国も戦後も事実を知りながらもソ連を擁護し隠蔽し続けた事実を膨大な資料をもとに告発する。1990年ゴルビーが認め、2012年アメリカ国立古文書館がカチン関連文書を公開。2012年キエフ郊外で虐殺された4000人の遺留品が新たに発見されている。公開文書によって研究はまだ始まったばかり。そしてまだ公開されないロシア側の機密文書もあり。2015/12/25

9
2次大戦中の早春、カチン地区でポーランド将校数千名の遺体が発見された。彼らはいつ、誰に、なぜ殺されたのか。ドイツ・ソ連・ポーランド、関係各国の思惑が真実の追求を妨げるなか、著者の粘り強い探索と鋭い思考が、輝ける研究書を生み出した。彼の示した勇気と叡智が、実行された恐るべき犯罪の底無しの闇を際立たせる。2020/01/03

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/5669424
  • ご注意事項

最近チェックした商品