出版社内容情報
1940年、忽然と消えた1万5000人のポーランド将校はどこへ行ったのか。旧版『カティンの森の夜と霧』を大幅改訂した新版。
第二次大戦中の1943年2月、西ロシアのカチン地区を占領中のドイツ軍は偶然ポーランド将校数千名の遺体を発見した。
今では、1940年春の虐殺がソ連の犯行だったことは周知の事実。しかし本書が米国で刊行された1962年当時は、米英ソは協調してヒトラー犯行説を主張、事実を隠蔽し、ソ連の一次資料も90年代まで封印されていた。
著者は若いときワルシャワ蜂起に参加し、米国に帰化したポーランド人学者。ソ連以外の関係国の資料を可能なかぎり収集し(東京の国会図書館まで調べている)、生存者の証言を集め、いわば傍証から、ソ連犯行説を固める。まるで複数の大国を相手にひとりで戦うかのように。
ポーランド将校たちはいつ、誰に、なぜ、どのように殺されたのか? 列強の隠蔽工作で誰が消されたか? ドイツ、ソ連、ポーランド三国の証拠品争奪戦の行方は? 読者は息詰まるような“ノンフィクション”を読むことになるだろう。
ソ連の崩壊後、一次資料が公開されはじめると、ザヴォドニーの主張は裏付けられた。いまだに引用頻度がもっとも高く、基本研究書でありつづける稀有な存在だ。
中野五郎訳『カティンの森の夜と霧』(読売新聞社,1963年)を大幅に改訂した新版。
【目次抄】
まえがき
1 消えたボーランド軍捕虜
2 森の墓場
3 不都合な同盟国――生者と死者
4 ソ連調査団の現地調査
5 ニュルンベルク裁判――国際政治の罪と罰
6 証拠分析
7 状況の再現――墓穴のふちへ
8 状況の再現――生死を分けたもの
9 カチン事件が生んだ戦後の諸問題
解説 根岸隆夫
原注/ソ連内務人民委員部のカチンの森虐殺事件関与者/参考資料と文献一覧/索引
内容説明
ポーランド指導階級の抹殺をはかったのはソ連か、ナチ・ドイツか。なぜ米英ソは戦後もドイツ犯行説に加担したか。一次資料封印の中で真実を突きとめた記念碑。
目次
1 消えたポーランド軍捕虜
2 森の墓場
3 不都合な同盟国―生者と死者
4 ソ連調査団の現地調査
5 ニュルンベルク裁判―国際政治の罪と罰
6 証拠分析
7 状況の再現―墓穴のふちへ
8 状況の再現―生死を分けたもの
9 カチン事件が生んだ戦後の諸問題
著者等紹介
ザヴォドニー,J.K.[ザヴォドニー,J.K.][Zawodny,J.K.]
1921‐2012。ワルシャワに生まれる。1944年、国内軍(AK)少尉としてワルシャワ蜂起に参加、敗北して南ドイツの補虜収容所に送られる。解放後は中尉としてアンデルス将軍指揮下のイタリア戦線で戦う。1948年、ソ連傀儡政権がポーランドに成立すると、渡米して帰化。スタンフォード大学で博士号取得。その後プリンストン、オクスフォード、ワシントン各大学他で政治学と国際関係論を教える。1979‐1984、カーター、レーガン両政権で国家安全保障会議顧問を務める
中野五郎[ナカノゴロウ]
1906‐1972。東京に生まれる。1931年朝日新聞社入社。1941年太平洋戦争開戦により、ニューヨーク特派員のまま米国に抑留される。1942年交換船で帰国。1948年朝日新聞社を退社し、以後は第二次大戦に関する執筆と翻訳に専念
朝倉和子[アサクラカズコ]
翻訳家(SWET会員)、ピアニスト。訳書には片柳和子名義のものもある。マーティン『北朝鮮「偉大な愛」の幻』(全2巻、青灯社、2007。朝日新聞アジア太平洋賞特別賞受賞)他
根岸隆夫[ネギシタカオ]
フランス政府給付留学生としてパリの国立政治学院で欧州政治史を学ぶ。ドイツで欧州全体主義を研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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