喪の日記

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  • サイズ A5判/ページ数 293p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622075028
  • NDC分類 955
  • Cコード C1010

内容説明

愛する母の死から書き起こされた断章群。「この悲しみをエクリチュールに組みこむこと」。最晩年のバルトが遺した苦悩の刻跡にして懸命の物語を、初めて公刊。

目次

喪の日記―一九七七年一〇月二六日‐一九七八年六月二一日
日記のつづき―一九七八年六月二四日‐一九七八年一〇月二五日
(新たなつづき)―一九七八年一〇月二六日‐一九七九年九月一五日
日付のない断章
マムについてのメモ

著者等紹介

バルト,ロラン[バルト,ロラン][Barthes,Roland]
1915‐1980。フランスの批評家・思想家。1953年に『零度のエクリチュール』を出版して以来、現代思想にかぎりない影響を与えつづけた。1980年2月25日に交通事故に遭い、3月26日に亡くなった

石川美子[イシカワヨシコ]
1980年、京都大学文学部卒業。東京大学人文科学研究科博士課程を経て、1992年、パリ第7大学で博士号取得。フランス文学専攻。現在、明治学院大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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harass

83
葬儀からしばらくたってようやく悲しみを感じるようになった。手に取る。77年に母を失ったバルトが残していたメモをまとめたもの。長年同居していた母を失った悲痛とそこから微かな希望が見受けられる。だが80年に無意味な交通事故死にあうのだが…… 『10月31日 月曜日午後三時。はじめてひとりでアパルトマンに帰った。ここで、たったひとりで、どのように生きてゆけるのだろうか。だが同時に、かわりの場所などまったくないことも明らかなのに。』2019/04/07

松本直哉

16
オイディプス以来、人は母を愛するための言葉を奪われ続けているのかもしれない。最愛の母の死を嘆きながら、バルトは奪われたことばを取り戻そうとしているかのようだ。一人称の平明な文とママンあるいはマムという呼びかけはカミュの異邦人を想起させるが、ムルソーの母との隔絶とは正反対に、親密で濃密なほとんど恋に近い母への思い。俳句的なまでに切り詰められた断章と断章の合間から聞こえる無声の慟哭。時間とともに過ぎ去る喪と、決して消えずに持続する悲しみと。2016/05/29

あなた

16
バルトは饒舌な人間だと思っていたのだがここではバルト特有のかろやかに飛翔するような文体がぶつ切りにされ、重く沈んでいる。他者の死も、鬱病もともに「語れない」ということをその根幹に置く。語りえないからこそ死は圧倒的に現前し、鬱が私を凌駕する。にもかかわらず、だからこそ、我々はその「喪」を語ろうとする。騙りにすぎないとわかっていても「ただ語る」というあまりに無味乾燥な行為の持続において今にもこま切れになりそうな生をかろうじてつなぎとめるために。(コメントに続く2010/05/07

ののまる

12
「(愛や喪といった)大きな危機から脱するための「仕事」は、性急に解決されてはならないからだ。わたしにとっては、そのような「仕事」は、書く行為のなかで、書く行為によってしか、なしとげられないのである」 なるほど。でも長すぎやしないか、、いつまでグジグジと…と所々思ってしまう私。それにしても、立ち直った矢先に、本人がクリーニング屋の車に轢かれて死亡というのは、人生って不思議すぎる。2018/07/19

ムツモ

4
母を喪った直後から2年間の、心情の吐露。私もいつか大切な人がいなくなったら、こうした気持ちを味わうのか…。練り上げられた文章でない分、バルトの痛みが私にも突き刺さる。辛いながらも繰り返し読んで味わった。遠い人だと思っていたバルトを、近く感じた。2015/12/16

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