内容説明
西欧の文化=権力が病い=病者におしつけてきた不健康な表象を批判し、自らの癌体験をもとに病いそのものを直視した本書は、卓抜な“病いの記号論”であると同時に、1980年代にひそかに進行していた一つの知的活動を代表する成果、今なお知的刺戟の源でありつづける古典なのである。
目次
隠喩としての病い
エイズとその隠喩
著者等紹介
ソンタグ,スーザン[ソンタグ,スーザン][Sontag,Susan]
1933年ニューヨークに生れる。シカゴ大学、パリ大学などで学んだのち、評論活動に入る。文化批評、映画批評、小説の分野でめざましい活動をつづけている。2004年歿
富山太佳夫[トミヤマタカオ]
1947年鳥取県に生れる。1973年東京大学大学院修士課程修了。青山学院大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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こーた
229
隠喩としてのCOVID-19、ということを頭の隅におきながら読む。結核、梅毒、癌、そしてエイズ。我々はいかにして「病い」を「読んで」きたのか。そのアプローチは医学ではなく、文学に求めなければならない。新たな病いの出現。世間はそれとどう対峙し、あるいは目を背けるために、どのような隠喩を与えてきたのか。『エイズとその隠喩』はいま読むと示唆に富む。なるほど、と思ったのは、ウイルスを取り巻くことばは戦争を想起させる、ということ。「敵」は外側から「侵入」し我々を「攻撃」する。免疫は一丸となってそれを「防衛」する。⇒2020/08/31
eirianda
16
先に読んだ、隠喩としての病い、に続いて「エイズとその隠喩」を読む。今では完治までではないが、治療薬もあり死の病ではないので、トーンダウンはしているものの、80〜90年代の騒動や偏見は(個人的には)まだ印象深く残っている。医学や科学は進歩しても、また別の原因不明の疫病が現れると、何かのメタファーで世間は納得しようとするのだと思う。この愚かさは、きっと自分にもあり、そこは意識しておきたい。2018/08/19
ndj.
9
結核が過敏な人々、才能がある人々、情熱のある人々を襲いやすい病気とされていたのに対して、癌は心理的な挫折感をもつ人々、感情表出の苦手な人々、抑圧のある人々が特にかかりやすい病気とされている─「結核」が隠喩化されるときに生じる、なんとなく儚く脆く美しいイメージと、「癌」が想起させる、環境の悪さや不摂生、自己責任、という悪しきイメージを対比させる『隠喩としての病い』は素晴らしい評論。『エイズとその隠喩』については、エイズをとりまく環境が大きく変わった現在では少しインパクトに欠けるが歴史的資料としては秀逸。2016/05/31
pippo_3520
4
19世紀のロマン派と結核との関係。ロマンティックで情緒的な病は、病気が人の性格に影響するのではなく、時に性格の方が病気を規定する。詩人は誰しも結核で死なねばならなかった(のか?)。体に症状としてあらわれる、現象としての病と対比された「メタファーとしての病」。2011/06/10
Rottoo1236
3
梅毒、結核、癌、エイズ。歴史的に大きな被害をもたらした(もたらしている)疾患が、どのような言説で語られてきたか、それがどのような意味を内包するかを説明するとともに、病いにまとわりつく隠喩の批判を試みた書。とくに前半部ー結核と癌、病い全般ーは非常に鋭い考察がみられ興味深かった。後半やや失速し、論理的な綻びがあったのは、まだエイズの黎明期だったこともあるだろう。20年以上経過し、ある程度抑えることのできる薬剤が登場した今では、エイズの隠喩はどう変化しているのか、自分の眼で現実を追っていきたい。2014/03/08