出版社内容情報
全2巻
内容説明
ドイツ軍の捕虜となったアベル・ティフォージュ。森と動物になじんだ彼にとって、ロミンテン禁猟区への移動は、さらなる運命の導きとなった。プロイセンの森の奥深く、そこで見たのは帝国狩猟頭ヘルマン・ゲーリングの宮殿。鹿を狩り、ライオンと共に肉を食らうその姿に、人食い鬼たる自らの本質を感じつつ、さらなる太古の世界に向けてティフォージュは旅する…。ついに到達したカルテンボルン城は少年戦士を養成するナポラで、ナチズムの核心を体現する場所であった。ソ連軍の猛攻に崩壊寸前のドイツ第三帝国、その中で死んでいく少年たち、ティフォージュはとうとうしるしの意味を知らされる。20世紀文学において『ブリキの太鼓』とならび不動の位置を占める幻想的戦争文学の傑作。
著者等紹介
トゥルニエ,ミシェル[トゥルニエ,ミシェル][Tournier,Michel]
1924年パリに生まれる。ラジオ局、出版社に勤めたのち、『フライデーあるいは太平洋の冥界』(1967、邦訳1982、岩波書店)で作家となる。現代フランスを代表する文学者でありつづける
植田祐次[ウエダユウジ]
1936年旧満州営口に生まれる。早稲田大学大学院博士課程中退。18世紀フランス文学専攻。青山学院大学文学部教授
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
harass
82
主人公はナポラ(ナチのエリート養成学校)で働き出す。子供たちを連れてくる才能を発揮するが、地元住民には人食い鬼と恐れられていることに気がつく。ロシア軍の反撃で東プロイセンは攻め入られ…… 前巻から張り巡らされた象徴の数々はラスト近くでひっくり返る。万人におすすめしないが、読み応えがあり読書の快楽というものを久しぶりに感じた作品だ。こういう本に出会えるからわざわざとっつきにくい海外小説を読み続けるのは徒労ではないのだと強く言いたい。名前だけ知る作家だったが他の作品も読みたい。岩波あたりで文庫化をぜひ。2017/10/09
HANA
53
狩猟場からヒトラー・ユーゲントの城砦へ、そして……。戦争の激化と共に主人公の立場と思索も変化していく。捕虜から森番、子供を拐う人食い鬼、魔王へと。読んでいる途中で気がついたんだけど、下巻は聖クリストフォロスの伝記をなぞる様に進んでいるのだな。仕える主人が王から悪魔へ、そして、という風に。後半主人公の独白が再び描かれるのだが、そこはやはり独特な論理の為に理解するまでしばし読み進めるのが遅くなる。でも主人公の内面描写は別の事を書いているけど、少年の髪の毛のシーンはどう考えてもフェティシズム満載だよなあ。2015/02/08
kasim
38
すごく心を乱されるけれど感想が書きにくい。白黒の土地ドイツを舞台に、登場人物の多くが同一人物の変奏のように話し、モノクロームでモノロジック。でも重層的。ティフォージュは「人食い鬼」だが、世間風に言えば元は〈周りに迷惑をかけない〉倒錯者だ。そんな彼はナチスの悪を頭では理解している一方で、より大きな「人食い鬼」である彼らに魅入られ、青毛の馬にまたがりアーリア人種の美しい子供を収集する。ひっそりと日陰に生きる個人が世界の暴力と繋がる瞬間。寓意性が強いけど、ひりひりするような現実との接合も絶妙だ。2022/05/13
syaori
22
彼を導く徴や価値転倒がすべて理解できたとは言えないのですが、面白かったです。下巻では様々な価値転倒や徴が明らかになります。例えばティフォージュが少年たちを徴募して連れてくる役目を負ったカルテンボルンはアウシュヴィッツの価値転倒だとされますが、彼が少年時代をすごした聖クリストフ学院とも対置されています。また三羽の伝書鳩は少年に、ネストールに担がれた彼は担ぐ者=担がれる者になります。シューベルトの歌曲の魔王という意味では、彼は少年の誘惑者である魔王であると同時に誘惑される少年でもあったのだろうなと感じました。2016/01/29
かんやん
20
数奇な運命と象徴に導かれ、アベルは第三帝国の狩猟頭ヘルマン・ゲーリングの元で働くことになる…。鹿の角の評価方法から、馬の形態哲学を経て、ヒットラー・ユーゲントのために子どもを選別する人類学まで。トゥルニエのことだから、毎度ながら頭デッカチな小説だが、この神話的な小説に生きた人間はいないかというと、そんなことはない。世界に象徴を見て、自身の運命をそこに読み取るというのは、実に人間的な行為だから。一切の価値が転倒した世界が開けた後、高められた予定調和的なエンディングが読む者を高揚させるのは、そのためだろう。2017/10/13