パリの廃墟

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  • サイズ B6判/ページ数 219p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622048077
  • NDC分類 954
  • Cコード C0098

出版社内容情報

パリの異端の散歩者として、詩を愛する者たちのあいだで熱烈なファンをもつジャック・レダ。その作品がはじめて日本語で読めるようになった。翻訳はかねてよりレダを敬愛し、自らの指標ともして、デビュー作『郊外へ』でも言及していた作家堀江敏幸。

「かくて私は歩みをつづける、ピチカートで。私は幸せなのだろうか? 悲しいのだろうか? なにかの謎に、意味にむかって歩いているのだろうか? あまり考えすぎないことにしよう。私はもはや、希望のごとく張りつめ、愛のごとく満ち足りた、あの基本和声のふるえにすぎないのだから。」

1970年代、再開発の進むパリ周縁部を原動機つき自転車ソレックスにのった詩人は走り回る。「じつに微妙な仕方で、その崩れかけた空間のなかに、あたらしいなにかを見出そうとする。大手企業の工場が取り壊されたあとの瓦礫の山、小環状線の廃線と切通しの土手に生える雑草、空き地にできた油の浮かぶ水たまり、日曜日のがらんとした住宅街。」(訳者あとがき)ありふれた人生と濃厚な詩魂がスパークする純粋散文集であり、また観光の対極にあるディープなパリ・ガイドでもある。

書評情報:
茅住ヤヒロさん/東京新聞 2001.8.16


Jacques Reda(ジャック・レダ)
1929年リュネヴィルに生まれる。二十代から詩集を出していたが、その後の沈黙を経て、『アーメン』(1968), 『レチタティーヴォ』(1970),『変質』(1975) などの詩集を刊行。本書によって散文への移行を果たす。1987年から1995年まで、NRF誌を編集。本書に続き、『土手の草』『気流の城』『散歩のすすめ』『歩行感覚』『街の自由』など、パリとその周辺を素材にした散文を発表しつづけている。

堀江敏幸(ほりえ・としゆき)
1964年、岐阜県生まれ。現在、明治大学助教授。1999年『おぱらばん』(青土社)で第12回三島由紀夫賞を、2001年『熊の敷石』(講談社)で第124回芥川賞を受賞。著書『郊外へ』(白水社)『子午線を求めて』(思潮社)『書かれる手』(平凡社)『回送電車』(中央公論新社)『いつか王子駅で』(新潮社)。訳書 ギベール『赤い帽子の男』(集英社)リオ『踏みはずし』(白水社)ほか。

内容説明

異端の散歩散レダにかかると街路や郊外がとつぜん息づきはじめる。濃密な詩文集。

目次

逃げ去っていく異端者の足どり
音もなく、ほとんど言葉もなく
灰色のやわらかな厚みのなかで
なにか見出しがたきもの
小さな青い扉
近郊へ
サン=セルジュの祝福
ウォーキング・ベース
停車、ビュッフェ、鉄道網

著者等紹介

レダ,ジャック[レダ,ジャック][R´eda,Jacques]
1929年リュネヴィルに生まれる。二十代から詩集を出していたが、その後の沈黙を経て、Amen(1968)、R´ecitatif(1970)、La Tourne(1975)などの詩集を刊行。本書によって散文への移行を果たす。1987年から1995年まで、La Nouvelle Revue Francaise誌を編集。パリとその周辺を素材にした散文を発表しつづけている

堀江敏幸[ホリエトシユキ]
1964年、岐阜県に生まれる。現在、明治大学助教授。1999年『おぱらばん』(青土社)で第12回三島由紀夫賞を、2001年『熊の敷石』(講談社)で第124回芥川賞を受賞
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

兎乃

31
個人レベルの 身内の 祖母の 思い出とか 哀しみとか 笑顔とか ちゃんと引き受けて この “夏”を乗りきろうと、言葉にしない嫌悪も 小石を飲み込む沈黙も 引き受けて 静かに 孤心を身につけて 人に 物に なにものにも 美しさを見出せる そのような気持ちで 絃を 墨を 数を 抱いていこうと。一心に読み 朝が来て 蝉がないて、もう 大丈夫と思った。励まされたわけでもなく 説教をくらったわけでもなく ただ 同じ速さでの逍遥。またね、って感じで頁を閉じて また 読む。傍に。2015/08/12

ぞしま

13
詩的散文、時々、詩のようなのだが全て「詩」だと思い読んだ。リルケの『マルテの手記』ぽいかなと思ったが、こっちの方がもっと色があるし、具。 見えているものとその動きが〈内的心象〉を形成し、思念的な断片は未結実に中座し、空間をうねらせ/膨張させ、解決に向かう。斯かる緊張と弛緩の(確信的?)手法は(著者に深い馴染みがあるらしい)ジャズの進行に酷似している。 〈意識の奔流〉は不穏なテンションノートのように胸に突き刺さったり、ため息が出るほど美しかったり。似たダメな詩は沢山あると思うが何か決定的に違う。別格な佇まい2020/08/23

ぱせり

10
著者は、パリ市内や郊外の崩れかかった廃墟を散文という形でスケッチする。搾取する人々、瓦礫に息づく植物、その上に広がる空・・・。華やかな市街よりももしかしたら、ずっと素直で美しいパリ。そして、訳。著者と訳者は同一人物(のわけないのはわかっていますけど)と言われても驚かないくらいぴったり。訳者あとがきもいいです。2010/03/01

ぽち

8
図書館で閉館ぎりぎりまで粘り急ぎ足で通読、そんなふうに読む本ではなかったなあ。「一階でも二階でもない夜」の中でも言及されている、堀江先生翻訳による本書。公園の端で、市場へと向かう道端で、うらびれた駅で、開発を待つ空き地で、夜が迫る時間曙光の気配を感じる時間、孤独と対話、諧謔とアイロニーを漂わせ散文に変転する、そこに「旅」「食」「遊戯」「他者」などのお題目はなく、詩人の感性で切り取られた情景。帰り道、人工的な銀杏並木と巨大な団地群にて。・・・この本絶版なのかあ・・・。2014/11/07

愛玉子

3
完全に翻訳者の名前で手に取った作品だったが、良かった。詩人が自転車とバイクの中間のような、ゆっくり走る二輪の乗り物で散歩しながら詩のような散文で描き出すパリは、色鮮やかで美しい。空の色を表す形容詞がこんなにあるとは。2010/02/04

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