出版社内容情報
ベルリンでサロンを主催し、貴族や学者達を魅了した女性の半生を、自らのユダヤ性を重ねて描く。
受賞情報:
国際交流基金と東京ドイツ文化センターが互いに優れた翻訳に贈る独日翻訳賞・マックス・ダウテンダイ・フェーダー・東京ドイツ文化センター賞2001年が、
ハンナ・アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン』の訳者大島かおりさんに決定した。
11/22赤坂の東京ドイツ文化会館で贈呈式があった。
Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)
1906年、ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスにおける愛の概念」によって学位取得。ナチス政権成立後(1933年)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得。その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の客員教授を務め、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。1975年ニューヨークで急逝。著書 『全体主義の起原』1-3 (1951, みすず書房 1972年、1972年、1974年) 『人間の条件』(1958年、筑摩書房 1994年)、『イェルサレムのアイヒマン』(1963年、みすず書房 1969年)、『過去と未来の間』(1954年 1968年 みすず書房 1994年)、『ラーエル・ファルンファーゲン』(1959年、みすず書房、1999年)他。
内容説明
1771年、裕福なユダヤ人商家に生まれたラーエルは、ドイツ・ロマン主義の華やかなベルリンでサロンを開き、各界のそうそうたる人たちを集めた―フンボルト兄弟、プロイセンのルイ・フェルディナント王子と愛人パウリーネ、フケー、シュレーゲル、シャミッソー、そして伯爵夫人や女優たち。時は、ナポレオン戦争と、それにつづくウィーン会議の後にユダヤ人排斥が再燃する時代。ラーエルは必死に、ドイツ文化に同化し、貴族階級に受け容れられたいと願った。いくつもの恋に破れた後、1814年、ジャーナリスト・外交官のファルンハーゲンと結婚する。しかし、自らのユダヤ性から逃れられはしなかった。著者にとって、ラーエルのユダヤ性は自らの問題であった。本書は、ドイツ=ユダヤ人のアイデンティティを探る最初の著作となり、彼女の個人的な思いが色濃く反映した希有な作品となった。
目次
ユダヤ女性そしてシュレミール―1771‐1795年
世の中へ―1795‐1799年
終わったあと・どう生きる?―1799‐1800年
異国への逃亡・美しい世界―1800‐1801年
魔法・美・愚行―1802‐1804年
解答・大いなる僥倖―1805‐1807年
同化―1807‐1808年
昼と夜〔ほか〕
感想・レビュー
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中村禎史
hachiro86