• ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ A5判/ページ数 514p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622018919
  • NDC分類 114
  • Cコード C1010

内容説明

人間の永遠のテーマである「死」を主題として奏でるポリフォニックな思索世界。三つのモチーフ「死のこちら側の死」「死の瞬間における死」「死のむこう側の死」の展開によって、完璧に、精妙に演じられる一大交響曲といえよう。

目次

死の神秘と死の現象
第1部 死のこちら側の死(生きている間の死;器官‐障碍;半開;老化)
第2部 死の瞬間における死(死の瞬間は諸範疇の外にある;死の刹那のほとんど無;逆行できないもの;取り消しえないこと)
第3部 死のむこう側の死(終末論流の未来;後生の不条理さ;虚無化の不条理さ;事実性は滅びることはない。取り消しえないものと逆行できないもの)

著者等紹介

ジャンケレヴィッチ,V.[ジャンケレヴィッチ,V.][Jank´el´evitch,Vladimir]
1903‐1985。フランスのブールジュに生まれる。高等師範学校卒業後、1926年にアグレガシオンを取得。プラハのフランス学院で教鞭をとる。32年にはシェリング論で国家博士号を取得。38年にリール大学の講師に就任するが、翌年動員され、ヴィシー政権によって公職追放される。その後トゥールーズでレジスタンス地下活動に身を投じる。終戦後復員し、51年から78年にかけて、パリ大学文学部倫理学担当教授を務めた

仲澤紀雄[ナカザワノリオ]
1930年、東京に生まれる。1953年東京大学教養学部教養学科卒業。フランス政府給費生として渡仏。1970年帰国。フランス哲学・思想専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

テツ

38
死への深い深い思索。僕たちホモサピエンスは太古の昔から死についてあれこれ想像したり、それについての物語を構築することは得意だけれど、「ここにいる私」の死というのは絶対に体験出来ないイベントだということをすぐに忘れてしまう。死の訪れない生はない。どれだけ幸福でもどれだけ不幸でも、僕たちは必ず自分だけのオリジナルなイベントとして、死へと向かい歩き続けている。絶対に容赦なく終わりを迎える生を歩んでいるということもすぐに忘れてしまう。死について深く考えることは、生について深く考えること。死ぬまでに何をしよう。2019/03/22

wadaya

12
死は身構える者の前には決して訪れない。死は万人が必ず経験するものに違いないが、その死を語り継いだ者はいない。未知なもの。死という未来は到来するが、決して現在とはならない。人は未知なものに対して恐れを抱く。そういう意味で、死は人にとっての永遠の恐れである。しかし、ジャンケレヴィッチは、死は我々にとって何でもないものと明言する。この言葉を覚えておいてほしい。私も例外なく死が怖い。今年の夏、愛猫が死んで、その死の瞬間に寄り添った。私にもいづれ訪れる死を、愛猫は既に経験したわけだが、死がいかなるものなのか、→2025/12/11

田蛙澄

4
邦訳で500頁にもわたる死についての思索の中で、ジャンケレヴィッチは死のどうしようもない知りえなさ、抗えなさ、不条理さを論じ、死が器官-障碍として我々に内在しつつ我々の生を妨げるものであり、一人称の死と二、三人称の死の圧倒的な差異を強調し、意識と死の相互包括を論じつつも死の虚無の生々しさを語り、最後にすべてが虚無に帰すにしても死ぬまで生きていたという事実性の痕跡が世界に残るということに神秘的な救済を見出している所に無神論的な死についての思索の一つの解決があると思う。循環のような螺旋塔の末に高い青空がある様2017/11/04

Ryoma Okamura

2
生をひとたび生ききって、生が閉ざされ、完結したとき、人はなんのためだったかと自問する。そうだ。運命の天空での何某氏のこのささやかな散策、有限性という谷間での何十年かの見習いはどういう意味があるのだろう。此岸という牧場での初めも終わりもないこの滞在はなんの意味があるのだろう。そして、まず、何某氏はなぜ永遠に非存在のままにとどまらず、ある日、生まれてきたのだ。生まれたあと、なぜまたある日存在することをやめねばならないのか(p.505)。2020/10/04

まんぼう

1
練習無し。やり直しも修正も不可。そして事前情報も仕様書もなにも無いぶっつけ本番ただ一回だけのイベント、死。うっすら何か見えるような気がするが本当のところは何だかよく分からないもの、死。自分が生きようが死のうが世界は進んできたし進んでいくが、「存在した」ことを「存在しなかったこと」にはできない。誰も記憶せずとも自分が存在したという事は永遠に取り消されないという事実は、今のところ、喜びより恐怖の方が大きい。それはおそらく自身の死よりも生(誕生)のほうが不可解に感じているからかもしれない。 2024/01/25

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/102210
  • ご注意事項