出版社内容情報
私たちは本当に「見て」いるのか?
時に鋭く、そしてあたたかく、ユーモアに満ちた随想集。
内容説明
2011年から8年にわたり「点字毎日」に好評連載された「堀越喜晴のちょいと指触り」が、待望の1冊に。2歳のときに光を失った言語学者による、社会の風をとらえたエッセイ。「目で見ない族」の著者が、この国に吹く風を全身で感じる―。私たちは本当に「見て」いるのか?触れて、聴いて、初めてわかる、この社会のかたち。時に鋭く、そしてあたたかく。ユーモアに満ちた随想集。
目次
第1章 目で見ないシーン
第2章 たかが言葉、されど言葉
第3章 何か変だぞ
第4章 点字は文字だ!
第5章 今、教育の現場で
第6章 大切な人、大切な場所、大切な記憶
第7章 近頃の事件から
おわりに―「罪滅ぼし」と「恩返し」点字毎日創刊100年に捧ぐ
著者等紹介
堀越喜晴[ホリコシヨシハル]
1957年新潟生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は言語学、キリスト教文学。現在、明治大学、立教大学、日本社会事業大学で教鞭をとる。2歳半までに、網膜芽細胞腫により両眼を摘出。1991年から99年まで、NHKラジオ第2放送「視覚障害者のみなさんへ」に出演。また2011年から19年まで「点字毎日」に「堀越喜晴のちょいと指触り」を連載(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
どんぐり
95
毎日新聞社が発行する『点字新聞』連載からの単行本化。著者は網膜芽細胞腫で全盲となった言語学者。ご子息は、東京パラリンピックに出場したマラソンの銅メダリスト。本書は「健常者」と「障害者」の主体と客体、してあげる側としてもらう側、教える側と教えられる側、配慮する側とされる側の固定された見方にゆさぶりをかけるエッセイ。「『不幸でかわいそう』×『けなげに頑張る』=『感動』」という方程式、「障害者は不幸でかわいそう」という物語を成り立たせている社会に〈目で見えない族〉から発したメッセージは、→2023/02/14
がらくたどん
70
リタイアの少し前から県内の点字図書館経由で墨字書籍のテキストを点字に訳すボランティアをポチポチとやっているのだが私の場合は奉仕精神云々以上に文字としての点字のシステムが面白くてならない。6点枠の整然とした組み合わせで50音から記号・数字までを網羅しようという「文字」としての心意気に萌える。五感の中で自分には何が一番世界を掴める気がするかという感覚嗜好性や身体機能・認知の癖のグラデーションに優劣の重みが付くのは、それらを配置する社会という座標軸のXYZを何に設定するかに拠るんじゃないかな~と思えるエッセイ。2023/05/14
けんとまん1007
58
「見る」。改めて、その意味を考えた。視覚だけでなく、見るという表現が、いくつもある。それにも関わらず、視覚による見るに囚われがちのように思う。そこから派生して、今の人々の在り様が伝わってきて、自分自身のことを考え直している。表面的なことではなく、その根底にあるものを、どうやって考え続けるか。それは、わざとらしさではなく、さりげなさにも通じるのではないかと思う。あとから、じんわりと心地よさにつながること、そんなことではと思う。2022/08/31
とよぽん
55
著者は「目で見ない族」。2歳で両眼摘出により視力を失い、盲学校を経て筑波大学大学院博士課程修了。専門は言語学、キリスト教学。大学で教鞭をとる。というプロフィールを忘れさせるほど、小気味よい直球のメッセージが次々飛んでくる。堀越先生の半生からは、視覚障害を全く不幸と思わないたくましさを感じる。また、世の中の(特に日本の)障害者に対する歪んだ見方や考え方に物申す公正な生き方に圧倒される。言葉に対する感覚の鋭さにも胸打たれた。この本を読んでよかった。創刊100年を超えた「点字毎日」もすごい。2023/04/27
ひろ20
37
大学教授の堀越善晴さんは「網膜芽細胞腫」という病気で失明、遺伝率が高くて息子さんもこの病気になってしまうが、東京パラリンピックでマラソンで銅メダル。「障害者」「健常者」が対立概念ではないという事で「目で見る族」と「目で見ない族」という言葉を使う。触って見る、聞いて見る。味わって見る。嗅いで見る。いろんな見方がある事がわかった。私が思っていた不自由な事もあるけれど、教壇に立ち、外国にもどんどん行って、日常の生活での感想は面白く、障害者の雇用条件うんぬん、専門的な事は難しかったです。2022/10/28
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