内容説明
ソニーの危機を3度救った、盛田昭夫の恩師。被爆直後の広島を調査し、戦後、産業界と学界に数多くの逸材を輩出した阪大の名物教授。「それ、なんでだんねん?」が口癖のコテコテ大阪弁物理学者、初の評伝。
目次
序章 物理学で産学連携
第1章 兄と師・長岡半太郎
第2章 大阪帝国大学創設
第3章 実験物理の教室
第4章 国を守る科学
第5章 日本の原爆開発
第6章 シンジンナルコウリョヲキボウス
第7章 戦後の再出発
第8章 淺田に訊け!
第9章 庶民派物理学者
終章 晩年
著者等紹介
板倉哲郎[イタクラテツロウ]
1926年10月、長野県生まれ。1952年3月、旧制第18回生として大阪大学理学部物理学科(淺田浅田研・光学)卒。同年、大学院生として浅田研・放射線照射研究へ。1956年、関西電力(株)入社。その後1年間、大学院生として浅田研在籍。1976年、日本原子力発電(株)敦賀発電所長。1989年、同社常務取締役・技術開発本部長。1993~2000年同社最高顧問・技術顧問
更田豊治郎[フケタトヨジロウ]
1930年2月、上海生まれ。1953年3月、新制第1回生として大阪大学理学部物理学科(浅田研・ベータトロン室)卒。1957年1月、大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)入所。1989年1月、同研究所副理事長。1933年4月、(財)原子データセンター(現・高度情報科学技術研究機構)理事長。1977年7月、(財)環境科学技術研究所会長。2000年6月、(財)日本海洋科学振興財団理事長
住田健二[スミタケンジ]
1930年8月、大阪府生まれ。1953年3月、新制第1回生として大阪大学理学部物理学科(浅田研・物性室)卒。1975年8月、大阪大学工学部原子力工学科教授。1993年12月、原子力安全委員会委員。1998年6月、同委員会委員長代理。2000年5月、(社)日本原子力学会会長。2002年8月、(財)原子力文化振興財団・副理事長
北川通治[キタガワミチハル]
1932年9月、兵庫県生まれ。1958年3月、新制第6回生として大阪大学理学部物理学科(浅田研・照射室)卒。1963年3月、大阪大学理学部大学院博士課程修了。1964年、大阪府立放射線研究所、総括研究員、第1部長。1990年、大阪府立大学教授、先端科学研究所所長。1996年、(社)大阪ニュークリアサイエンス協会顧問
岡田健[オカダケン]
1935年2月、山口県生まれ。1958年、新制第6回生として大阪大学理学部物理学科(浅田研・ベータトロン室)卒。1962年~1964年、パリ大学理学部留学、浅田調査団に随伴。1980年、(株)神戸製鋼所原子力エンジニヤリング部長(初代)。1990年、同社理事・鉄鋼生産本部長代理。1995年、神鋼リサーチ(株)顧問、1997年、岡田木造建築士事務所開設(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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