内容説明
プーチンはなぜ「神の代理人」として振る舞えるのか?「力」か「自由」か―歴史の変革時に常に「力」を選び続けてきたロシアの風土をロシア正教会の歴史からたどる本邦初の意欲的な試み。
目次
第1章 「ルーシの世界」のはじまり
第2章 キエフ・ルーシの改宗
第3章 統治者は「地上における神の代理人」たりえるか
第4章 「ロシア」の誕生
第5章 ウクライナの誕生
第6章 宗教的原理主義の行方
著者等紹介
三浦清美[ミウラキヨハル]
1965年(昭和40)、埼玉県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。サンクトペテルブルク国立大学留学。専攻はスラヴ文献学、中世ロシア文学、中世ロシア史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
田中峰和
6
なぜ世界中の反対を無視してウクライナ侵攻を続けるのか。ユダヤ教とカトリック、正教、イスラム教など当時の宗教と国家に遡って、解説される内容は教科書の何倍も詳しく興味深い内容だった。ロシア人の思考回路を知るにはうってつけの良書だ。ロシア正教会のキリル大司教は「プーチンがロシアを統治するよう神によって定められている」と主張する。民族的に遅くキリスト教に改宗した劣等感は西欧NATOへの対抗意識となり、ウクライナが加盟することを許容できない。そして国民の統治者観は、絶対的な力をもつ神の代理人に委ねる意識が根深い。2023/01/16
shimashimaon
6
キリスト教関係の読書が役に立ちました。新約聖書にある「ぶどう園の労働者」の例えの如く、遅れて改宗したロシアが先頭に立つべく、テオーシスを体現するアウトクラトール(神の代理人)であるツァーリを希求する。ローマ教会と異なり東方正教では民族固有の言語による布教が行われ、世俗権力に果敢に対抗する宗教者も出現した。キュリロス・メトディオス兄弟、トゥーロフのキリルetc.。信仰は凄い。モンゴル侵寇という歴史に根ざすリアルな終末論とテオーシスに基づく自力本願的要素の濃さが、「回路」の特徴でありそうなことを垣間見ました。2022/11/15
バルジ
3
「ルーシ」の歴史的淵源を同時代の文学作品から辿る他に類書のない新書。聞き慣れない固有名詞の嵐で中々読むのに骨が折れるが、現代ロシアの「古層」を窺い知るのに最適な一冊であろう。ロシア史に疎い評者はリューリク招請の理由が自らを統治してもらうために「招いた」点に驚く。その後のキリスト教受容の姿はむしろ「中心」への飽くなき渇望がありながら、「中心」たり得ない辺境国家の激しいアイデンティティのせめぎあいに見える。テメーシス概念やアウトクラトールはプーチニズム理解の一助にもなる。2023/02/11
sa10b52
1
民族も国境もズレていくのが日本人視点では想像しにくく、今日の世界地図をイメージして却って混乱してしまった。内容も一通り説明する都合上時間的・地理的に前後して一度で理解するのは難しい。ただ筆者の主張はわかり易く、二・三度読めたらすっきりしそう。ロシアでのツァーリが神の代理となって執行するアウトクラトールと、第三のローマとしての自覚が今日まで専制的になりがちな根底にある。対して西側の知識の窓口となったウクライナはそうした原理を持っていない。2023/07/24
NorthVillageHRE
1
扶桑社新書というと個人的には良いイメージはないが、本書は中世ロシア文学・思想の泰斗が書いており、学術的にもしっかりした内容になっている。タイトルはやはりレーベル色が出ていて煽ってる感が否めないが・・・。「アウトクラトール」や「テオーシス」といったロシアや正教に特徴的な概念がわかりやすく説明されており、そういった思想的源流がプーチンのウクライナ侵攻にも通ずるところがあるという。また、ウクライナやベラルーシといった西方ロシアはポーランドとの結び付きが強く、そこが東方ロシアとの分かれ道になったとのこと。