内容説明
お母さんへのすべての感謝を一編の詩に凝縮させた二カ月後、やっちゃんは天国に旅立った…。時を超えた愛と感動のノンフィクション。
目次
第1章 やっちゃんが生まれた
第2章 周囲の愛に守られて
第3章 ボク、一年生になったよ
第4章 仲間がいっぱい
第5章 幸福は自分の手で
第6章 やっちゃんが詩をつくった
第7章 やっちゃんが死んだ
第8章 やっちゃんの詩が全国に紹介される
著者等紹介
向野幾世[コウノイクヨ]
昭和11(1936)年、香川県生まれ。奈良女子大学文学部卒。国立教護事業職員養成所修了。肢体不自由児施設指導員や奈良県立明日香養護学校教諭、奈良県立障害児教育センター所長、西の京養護学校校長、奈良県立教育研究所障害児教育部長などを歴任。現在、奈良大学講師。一貫して、障害児の教育の機会拡大や、障害者と健常者の共生を目指してボランティアの育成や啓発・教育活動を展開。98年、文部大臣より教育功労賞受賞
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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おかだ
54
ああああ…何を書いてもペラいな。私は薄っぺらい。こんな本を前にしたら、自分の底の浅さとか、弱さとか甘ったれとか、だらしなさが浮き彫りになってホントもうごめんなさい…って気分になる。だから今、一度真剣に想像した。もしも自分がやっちゃんのお母さんだったら。きっと私は何度も、何度も何度も死のうと思うだろう。でもその度に、胸に抱く子の笑顔にすがり、助けられるのだろう何度でも。特別に強いお母さんなんていない。やっちゃんがお母さんを強く支えていたんだ。だからごめんなさいなんてどうか言わないで欲しい。…と思った。2019/12/15
大阪魂
38
ページめくるたんびに胸を抉るってばんちゃがゆってたけど…やっちゃんの、君ちゃんの、芝くんの、山本公三くんの詩、つっかえずに声にだされへんかった…「ぼくだけぼくだけ他の世界にいるみたい みんな同じ空の下生きている生きている」障がいをもって生まれた人たち、障がいをもった人たち、ごめんなさいねお母さんっていわなくても、ともに生きていける社会にしていかんとね。それと明るく強く生きたやっちゃんたちのこと考えたら、自分自身やれることはしり込みしないでがんばるのがほんま大事やなあっておもた…この本に出会えてよかった!2019/10/19
ひらけん
26
誰も障害を持ちたくて生まれて来た訳ではない。なのに世間は弱者に対してこんなに冷たいんやろな。「おかあさん、生まれて来てごめんなさい」こんな言葉を言わせいいはずがない。俺の従兄弟も障害者で養護学校に通う電車の中で、なんで電車に乗ってるんみたいな冷たい視線をいつも感じていたと言ってたな。何にも悪い事していないのにこんな仕打ちを受けないとあかんのかと聞かされた事を思い出した。障害者の人達はそういう冷たい視線を誰よりも敏感に感じ取ってしまうんや。誰もが分け隔てなく生きていけるそんな世の中を願わずにはいられない。2017/05/15
鈴
21
重度の脳性マヒだった男の子やっちゃん。生まれてくるとき産道を通る時間が長すぎたため、脳が酸素欠乏または脳内出血を起こしたかが原因だった。私も息子を産むとき超難産で、頭が見えてから産まれるまで何時間もかかったので 一歩間違えばと、他人事ではない。やっちゃんのお母さんに向けた詩は何度読んでも涙が出てしまう。「ごめんなさいね、おかあさん…ぼくさえ生まれなかったら」やっちゃんは体が不自由だったけど両親や兄弟や家族に支えられて、とても幸せな生涯だったと思う。2011/05/10
くみっふぃー
20
昭和53年に書かれた本。12年前に復刊したそうです。やっちゃんの詩を読んで、泣きました。私も脳性マヒと診断され、足や体幹に軽いマヒが残っています。私も、両親に『私が生まれてごめんなさい』と思って生きてます。身のまわりのことは自分でできても、人より弱い体なので、年々、色んなことが辛くなっている自分が不甲斐なく思えます。生きていくのは辛いことだけど、寿命が尽きるまで、生きるしかないんだから。やっちゃんの分も生きなきゃな…と思います。2014/06/16