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内容説明
『シニェポンジュ』は単なる「詩人フランシス・ポンジュ論」に終らない。その「固有名」の記念碑的物語。ポンジュ解釈の歴史を二分する現象学的解釈(サルトル)および記号論ないしテクスト主義的解釈(ソレルス)を踏まえ独自の読解を展開するデリダエクリチュールの実践。
著者等紹介
デリダ,ジャック[デリダ,ジャック][Derrida,Jacques]
1930年アルジェに生まれる。パリのエコール・ノルマル・シュペリウールで哲学を専攻。同校の哲学教授を経て、社会科学高等研究院教授をつとめた。ロゴス中心主義の脱構築を提唱し、「神の死」のあとに到来した今日の知的状況をこの上なき冷徹な眼で分析する現代フランスの代表的な哲学者。1983年にフランス政府派遣の文化使節として来日。その時の記録が、『他者の言語―デリダの日本講演』として刊行されている。2004年10月9日死去
梶田裕[カジタユウ]
1978年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程在籍。専門はフランス現代詩および哲学。2003‐04年度、フランス政府給費留学生としてリヨン第2大学にてDEA課程修了。07年度より日本学術振興会特別研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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ラウリスタ~
7
ポンジュの詩というそもそも翻訳不可能なものに関わる、デリダのパフォーマンスはそれこそ完全に翻訳不可能。だから横書きにして適宜、原語を補っている。フランシス・ポンジュという名を、何回も何回ももてあそぶ、フランシス、率直な、フランス的な、ポンジュ、スポンジ、と、ポンジュ。果たしてこのパフォーマンスになんらかの意味があるのか、というか如何にして意味を崩壊させようかということなのか、ポンジュの解説を期待しても(そんな読者がいるとして)それはなにも得られない。2014/12/20
渡邊利道
2
めちゃくちゃややこしいポンジュ論。フランシスを「フランス的」、ポンジュを「スポンジ」と呼応させ、その詩篇の「物」概念を脱構築していく。とくにスポンジの議論はいかにも脱構築であってややこしいが魅惑的でもある。しかし文学論としてはやはりどこか脱構築は窮屈と言うか、デリダの哲学的都合が優先されているようにも感じられて疑問が残る。たぶんソレルスとポンジェの対談を読む必要があるか。訳者解題が力作。とくにバディウによるデリダ論が引かれていて興味深い。2017/02/05