出版社内容情報
「日本語」はどのように形づくられ、また語られてきたのか―古来、東アジア世界さらには西欧との異文化接触にさらされてきた日本。
人びとは文化的他者との邂逅の中で、その思想とことばを鍛え続け、日本の言語空間、そして「知」の制度を作り上げてきた。
そしてまた、この「他者」という問題意識は一方で「純粋な日本語」というものを創造する装置ともなっていた…。
近世から近代日本にかけての日本語の成立に対する歴史的な視点、そして、それとともにたえず編制され続けてきた「思想の言語」をとらえなおし、「日本語とはなにか」という問題を論じる意欲作。
はじめに
第?部 訓読と日本の思想
一 訓読の思想史
一 訓読とは何か
二 近代日本の書き言葉の起源
三 訓読に向けられた視線
四 訓読法の変遷は何を物語るか
五 訓読の思想史への視座
二 日本思想史の課題としての訓読
一 訓読は「時代遅れの代物」か
二 〈文化の翻訳〉としての訓読
三 近代日本と漢字、漢文
四 転換点としての徂徠「古文辞学」
五 訓読の変容―宇野明霞と皆川淇園―
三 訓読・書き下し文という〈翻訳〉
一 二つの書き下し文
二 江戸期の訓読法と日尾荊山『訓点復古』
三 送り仮名の働き
四 中江兆民の言語的、思想的「跳躍」
五 書き下し文と思想の〈翻訳〉
四 近世日本儒学の言語と論理
一 森田思軒の試行
二 翻訳と思想の生成
三 朱子学の言語と論理
四 朱子学の流入と訓読の成立
五 朱子学の言語の解体、「主体」「主語」の行方
五 海を渡った訓読―近世琉球の言語世界―
一 訓読文で流通した儒学書
二 琉球における和語の流通
三 薩摩を介しての「漢文」と朱子学の移入
四 泊如竹の来琉と訓読の普及
五 多言語世界を生きた琉球知識人
第?部 可能性としての日本語論
一 日本朱子学、崎門派の言語
一 崎門派へのアプローチ
二 「内部」を形成する「語り」
三 「祖述」の世界
四 「語り」に即して析出される「内部」
五 崎門派における経典注釈の言語とその行方
二 「敬語」論と内なる「他者」
一 小津安二郎の「日本」=「日本語」
二 「敬語」論のディスクール
三 「敬語」の起源
四 教育と文化、そして「敬語」
五 内なる「他者」の発見
三 国語教育と日本語教育と
一 ディスコミュニケーションの所在
二 「近代の学知」という視座
三 近代日本の成立と国語・国語教育
四 可能性としての日本語教育学
四 漢字、漢文、訓読を再び問う
一 あらためて論題となった漢字、漢文、訓読
二 国民国家論、近代批判の中での日本語論
三 近代「知」の枠組みに向けられた「問い」と、日本語への視点
四 日本語論を開いていくこと
五 江戸から明治への言語思想史
初出一覧
あとがき
索 引
人名索引
書名・論文名等索引
中村春作[ナカムラ シュンサク]
1953年生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)(大阪大学)。大阪大学助手、四国女子大学助教授、広島大学教授を歴任。専門は思想史。
著書に『江戸儒教と近代の「知」』(ぺりかん社、2002年)、『訓読から見なおす東アジア』(編著、東京大学出版会、2014年)、『「訓読」論―東アジア漢文世界と日本語』(共編著、勉誠出版、2008年)、『続「訓読」論―東アジア漢文世界の形成』(共編著、勉誠出版、2010年)などがある。
内容説明
「日本語」はどのように形づくられ、また語られてきたのか―。近世から近代日本にかけての日本語の成立に対する歴史的な視点、そして、それとともにたえず編制され続けてきた「思想の言語」をとらえなおし、「日本語とはなにか」という問題を論じる意欲作。
目次
第1部 訓読と日本の思想(訓読の思想史;日本思想史の課題としての訓読;訓読・書き下し文という“翻訳”;近世日本儒学の言語と論理;海を渡った訓読―近世琉球の言語世界)
第2部 可能性としての日本語論(日本朱子学、崎門派の言語;「敬語」論と内なる「他者」;国語教育と日本語教育と;漢字、漢文、訓読を再び問う)
著者等紹介
中村春作[ナカムラシュンサク]
1953年生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)(大阪大学)。大阪大学助手、四国女子大学助教授、広島大学教授を歴任。専門は思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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