内容説明
『古事記』『日本書紀』の伝える神武東征伝承こそ、邪馬台国勢力東遷の記憶である。神話は、史実を伝えている。北九州に存在した邪馬台国(高天の原)勢力の一部は、卑弥呼(天照大御神)の死後、南九州に下った。南遷した勢力のなかから、神武天皇の名で伝えられる人物があらわれる。神武天皇は、西暦三世紀の末に東征し、大和朝廷をひらいた。
目次
プロローグ 手つかずの、ふしぎ世界―神武天皇陵の場所が、間違っている!?
第1章 新しい文献学―この本の立場と方法
第2章 天皇の在位年数と寿命―「辛酉革命説」か、「一世六〇年説」か
第3章 地名説話と歌謡―新しい要素が多い
第4章 氏族伝承と帝紀―中核は、帝紀である
第5章 神武天皇東征の理由と時期―東征は三世紀末であろう
著者等紹介
安本美典[ヤスモトビテン]
1934年、中国東北(旧満洲)生まれ。京都大学文学部卒業。文学博士。産能大学教授を経て、古代史研究に専念。『季刊 邪馬台国』編集責任者。専攻は、日本古代史、言語学、心理学
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感想・レビュー
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あいくん
8
☆☆☆安本さんは「古事記」、「日本書紀」は信用できる史料であり、邪馬台国は北部九州にあって、この邪馬台国は奈良に東遷して大和朝廷の礎となったという説を唱えています。「古事記」、「日本書紀」の「神武東征」はこの邪馬台国の東遷のことだと考えています。 「日本書紀」によると、神武天皇は紀元前660年に大和の橿原で即位したとされています。 それで戦時中の1940年は「皇紀2600年」ということになるわけです。 奈良に住む人たちの伝承で、神武天皇や神功皇后と一緒に九州からきたというものがあるそうです。2017/01/09
カットマン
2
古代史を勉強中の身からすれば非常に読みやすい。数理文献学は説得的だと思った。科学的・実証的態度をとっても記紀の記述に信憑性がある。一例を言えば各時代の天皇の在位期間を比較することで、卑弥呼=天照大神と見立てるわけだが、現代になるほど在位期間が長くなっている傾向から、神話の時代に異様に長い在位期間は不自然と推論する。古田史学だと、当時は1年に2歳としをとるとか言い出してたような。2018/11/10
Pikatyuagarden
0
・卑弥呼、天照大御神 ・邪馬台国東遷説 ・神倭伊波礼毘古の命(カムヤマトイワレビコノミコト) ・畝傍山、畝火山2016/01/06