出版社内容情報
とうとう出たね。。。
松本人志は「明日は我が身」である
「松本人志問題」とは何なのか?
その本質とは? 「文春との裁判のゆくえ」とは?
有識者の寄稿から、考察したのが本書だ。
週刊文春の報道に端を発した松本人志の性加害疑惑。未だ事実認定はなされていない。
にもかかわらず、松本人志は突然テレビから消えてしまった。一度疑いをかけられたり、ネガティブなイメージを持たれたりすると、即座に表舞台から消されてしまう。これが昨今の風潮である。
週刊誌やテレビでは「強者」としての松本人志を、まるで性加害事件を起こした張本人であるかのように報道していたのは事実だ。
しかし、週刊誌に書かれた被害女性の告発内容が事実なのかどうかをメディアは自ら検証していくべきではなかったか。
どのメディアも「松本問題」について独自に徹底検証しようとする姿勢は見られなかった。いまだに行なわれている気配もない。「松本は性加害者だという事実認定がすでになされたこと」として話題にされ、その上で〝性加害問題?について同時に議論が進められていく。これは異常な事態である。
あれだけ多くの番組に出演させ、チヤホヤしていたメディアは松本問題について触れないように現場に箝口令を敷いているという。すでにタブーなのだ。
一方、松本人志はどうなったか?
「性加害疑惑者」として地上波の出演はもとより、あらゆる仕事の機会を奪われ、いまだに誹謗中傷が止まらない事態が続いている。「強者」とされた人間が一転して「弱者」となり、いまだに叩かれ続けているのである。
今回の「松本問題」が明らかにしたのは、疑惑をかけられた人間が瞬時に社会的に抹殺されてしまうという事実であり、恐怖である。有名人に限らず気に入らない人間を引きずり下ろし、二度と浮かばれないように虐め続けるのが今のネット社会の実相だということ。それが一般大衆の本質であるということを露わにした。ネットリンチ社会の凄惨な様子はSNSでは日常の風景になってしまった。
松本問題は、一芸能人のスキャンダルとして片付けられない恐ろしい問題なのである。
この異常事態に慣れてしまった社会とはどういう社会なのか?
今後どうなっていくのか?
ポリコレから始まるSNS大衆による過剰バッシング、社会の忖度化・萎縮化が加速する中、今後自由に発言し、ものを作ることはできるのか?
お笑い・芸能はこれからも存在していけるのか?
「松本問題」をきっかけに考えてみたい。
議論の前提として、「性加害」という重大な事件が数多く存在し、また見過ごされてもきていたことは認識すべきことである。したがって、性加害問題を矮小化するつもりは決してない。それは断言しておく。
疑惑告発から社会的抹殺の社会へ……「明日は我が身」である。
内容説明
メディアとSNS大衆による度を超えた過剰バッシング。日本の芸能や文化はもはや破滅するだろう…。「自由がなくなった」と嘆く前に「松本問題」に隠れてしまった重要な問題とは何かを問う。
目次
第1章 松本人志は有罪なのか?―性加害疑惑報道と裁判のゆくえ(週刊文春の「名誉毀損ビジネス」を糾弾する;松本人志が訴えた名誉毀損訴訟の意義とは。裁判はどうなるのか? ほか)
第2章 松本人志を社会的に抹殺したのは誰か?―「過剰バッシング」に走る世論の暴走(著名人を引きずり下ろす快感。それに酔いしれる人たちと「先走る世論」;「週刊誌に言いつけてやる」そんな社会で良いのか? ほか)
第3章 マスコミの偏向報道と内部告発―テレビ局の報道規制はまるでナチスの監視(「松本氏性加害疑惑」は「ロス疑惑」と同じ道を辿るのか?;「誰が松ちゃんをテレビから消したのか?」放送事業の破滅的構造問題 ほか)
第4章 松本人志を命懸けで守る理由―義を見てせざるは勇なきなり(孤立無援でいじめられている人を黙って見過ごすことは絶対したくない。それが僕のポリシー)
付録 松本人志 お笑い芸人としての軌跡
感想・レビュー
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perseus27
長島芳明