出版社内容情報
埼玉・春日部共栄高校の硬式野球部を開校当時から45年間率いている本多利治監督(67)が2025年3月末で勇退する。
生まれは高知・四万十。日体大を卒業したばかりの1980年。この学校の創立とともに、22歳で野球部の監督になった。あると聞いていた専用グラウンドはなかった。
部員と一緒に田んぼを掘り返し、自分たちで作った。新たな伝統をイチから作り上げる。そのやりがいが原動力だった。
1993年夏、甲子園で準優勝した。このとき35歳。10年あまりで、関東有数の強豪校へと駆け上がった。多くのプロ野球選手も輩出。令和の今では高校野球界の主流となった「選手の自主性」を早くから重視した指導者でもある。
波乱万丈に満ちた人生経験も、野球の指導に生かされてる。
闘将が残したものをここに記す。
内容説明
埼玉の強豪・春日部共栄高野球部を率いて45年。本多利治が2025年3月31日限りで監督を勇退する。選手時代に高知高で内野手として甲子園3回出場、75年センバツでは全国優勝した。春日部共栄高の野球部が創部した80年、22歳の若さで監督就任。91年に初のセンバツ出場を果たし、93年夏の甲子園では準優勝を成し遂げた。春夏通算7回の甲子園出場で10勝を挙げた名将は、人情味あふれる指導で知られ、高校生の自主性を重んじる指導を先がけて意識してきた。その指導ルーツに迫る。
目次
第1章 指導方針(新設校で指揮を執って45年 指導者人生を長く続けられた理由;「この学校に入りたい」という想いを重視 集まってきた選手たちを鍛えて戦う ほか)
第2章 学生時代(“本多利治”を作った家庭環境と 人生を大きく変えた恩師との出会い;寮生活を通して自覚が芽生える 土台作りの大切さを学んだ中学時代 ほか)
第3章 自主自律(ゼロから作り上げたチームの土台 嫌われる覚悟を持って子どもを育てる;意識が高まってつかんだ甲子園出場 歴代最強チームが身に付けた「底力」 ほか)
第4章 文武両道(最後まで諦めない姿勢が奇跡を生んだ 2005年と2014年の逆転劇;いかに子どもの心を立て直していくか 過去の不祥事とメンタルトレーニング ほか)
第5章 人材育成(ここ数年で意識してきた後進の育成 33年間ともに歩んだ信頼できる相棒;選手一人ひとりに目を向けて得たもの 将来の指導者には教育者であってほしい ほか)
著者等紹介
本多利治[ホンダトシハル]
1957年(昭32)9月30日生まれ、高知県中村市(現・四万十市)出身。高知高で3度甲子園に出場し、3年時には主将を務め同春に全国優勝。日体大へ進学し、野球部主将を務めた。80年の春日部共栄高校の創立とともに、22歳で同校野球部の監督就任。春夏合計7度、甲子園に出場し、93年夏は準Vを成し遂げた。プロ野球(NPB)へ送り出した教え子は14人を数える。2025年3月31日限りで監督を退いた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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