内容説明
地下鉄サリン事件から五年、オウム裁判をつぶさに報じてきた記者が見たものは何か?集団における「個」のあり方、半端な権威主義、個人崇拝の裏の損得勘定、屈折した自己愛…。そこにあらわにされたのは、カルト教団の「狂気」ではなく、わたしたち皆が持つ、ありきたりの「凡庸さ」だった。オウム裁判の迫真の現場から日本人の姿を照らし出す、異色のオウム/日本人論。
目次
第1章 生きるに値しない世の中か
第2章 「修行」の名のもとで
第3章 「戦争」における生と死
第4章 指示と服従のあり方
第5章 個は取り戻せるか
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
i-miya
59
2013.12.18(12/18)(初読)降幡賢一著。 12/18 (カバー) 地下鉄サリン事件から5年、記者の見たもの。 集団における「個」の在り方。 半端な権威主義、 個人崇拝の裏の損得勘定、 屈折した自己愛。 そこに表われたものはカルト教団の狂気ではなく、私たち皆がもつありきたりの凡庸さであった。 (降幡賢一) 1945、長野県生まれ、朝日新聞社。 (あとがき) オウム信者の集団、一本の蚊柱。 2013/12/18
ybhkr
3
オウムと軍事国家時代の日本を重ねているテーマとしてはちょっと弱い。アレフ脱退後の上祐氏の一連の対談本の方がそこらへんはとても詳しく書かれているように思う。ただ、こちらは発行が2000年であり、地下鉄サリン事件から5年後の古いもの。そういう意味では、このテーマに関してはパイオニア的なものなのかもしれない。上祐氏がそのような話題を出し始めたのはひかりの輪を設立した後で地下鉄サリン事件から大分経過してから。先に上祐氏の本を読んでいたので物足りなく感じているのかも。傍聴記としてはよくまとまっていると思う。2015/03/16
大熊真春(OKUMA Masaharu)
2
教団のあり方は戦前軍国主義日本や、経済成長期の会社至上主義と似通ったものがあるのではないか。ってな感じ。2015/01/02