内容説明
消費文化が日常を覆いつくし、「精神的価値」で他の追随を許さなかったはずのヨーロッパ音楽も時代の波にのみこまれた。いま、音楽に、音楽家に、何ができるのか…作曲家・ピアニストの高橋悠治が、時代と音楽を語り尽くす。
目次
音の静寂静寂の音
声・文字・音
劇場、何のために?
残糸に惑い…
クセナキス
柴田南雄
尹伊桑
ホセ・マセダの思い出
音楽の反方法論序説(抄)
著者等紹介
高橋悠治[タカハシユウジ]
1938年、東京生まれ。作曲家、ピアニスト、エレクトロニクス。58年、桐朋学園音楽短期大学作曲科中退。柴田南雄、小倉朗、ヤニス・クセナキスに作曲をまなぶ。70年代、音楽の季刊誌『トランソニック』を編集
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感想・レビュー
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渡邊利道
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90年代後半以後、書いた文章をインターネットで公開してきた著者が、その中からいくつかをまとめて出来た本。詩のような独特の行替えはネットでの文章だったためらしいが、独特の効果を生んでいて、短いフレーズの折り重ねに思想性が宿っている。クセナキス、柴田南雄論が間に挟まれるように置かれているのも面白い。この視点で武満論も読みたいと思った。水牛での音楽による社会への参加の挫折から、ふたたび仕事へ向き合い、理論から手へ、方法から過程へと削ぎ落とされていく音楽の歩みをつぶやくように報告する。2017/08/23