出版社内容情報
デリダの衣鉢を継いでテクストの脱構築を徹底的に推し進めたド・マン、カントやヘーゲル等を分析対象に〈美的なもの〉と〈政治的なもの〉の起源と系譜に鋭く切り込んだ幻の主著。
内容説明
“物質的な書き込み”で構成された“出来事”、すなわちテクスト。ここにレトリックによって美的・詩的な粉飾・汚損をしていくのが“美学イデオロギー”である。カントやヘーゲル等の哲学的著作を分析対象に、“美的なもの”と“政治的なもの”が絡みあう近代思想の起源と系譜に鋭く切り込み、テクスト分析に革新をもたらした畢生の大作。
目次
メタファーの認識論
パスカルの説得のアレゴリー
カントにおける現象性と物質性
ヘーゲルの『美学』における記号と象徴
ヘーゲルの崇高論
カントの唯物論
カントとシラー
アイロニーの概念
レイモンド・ゴイスに答える
著者等紹介
ド・マン,ポール[ドマン,ポール] [de Man,Paul]
1919‐83。ベルギー生まれ。元イェール大学教授(フランス文学・比較文学)。J.デリダの脱構築理論を文学テクストの分析に積極的に導入し、1970年代から80年代初頭にはJ.H.ミラー、J.ハートマン、H.ブルームらとともに「イェール学派」を代表する思想家として活躍した
上野成利[ウエノナリトシ]
1963年生まれ。政治思想・社会思想史専攻。現在、神戸大学大学院国際文化学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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なっぢ@断捨離実行中
7
カントとヘーゲルの緻密な読解から捻り出した「物質なき唯物論」とは別に彼らの著作だけに限らない書物一般が本来持つ性質である。それが要約(誤読)されイデオロギー(歪曲・歴史)化する例をドマンはシラーに見出だしている。カントの数学的崇高/力学的崇高を実用主義的に読み替えた(誤読した)シラーの理論的崇高/実践的崇高が最終的に美的国家の観念まで行きついてしまう――。デリダのみならずアルチュセールなんかにも接続出来そうな議論だが、マルクス読解に着手する前に彼は倒れ、その仕事は後期デリダや柄谷行人らに引き継がれている。2017/03/13
ハンギ
4
ドマンはデリダの弟子と言われているが、デリダよりも20年くらい早くなくなっており、この本は遺稿や講演をまとめてドマンが書くはずだった、本と同じ章立てになっているらしい。僕はこの本が初めてだったけど、思ったより哲学的な本だった。他人が編集したとは思えないくらい、テーマは一貫していて、アレゴリーと真理の関係についてパスカルからたどって説明している。文学者と文芸理論家の違いについても言及してあっていろいろ示唆に富む。日本でも文学と哲学はかなり離れているけど、両者が近づいても害はないと思うし、むしろ有益だと思う2013/12/26
ひろ
2
間が空くと全然わからん…要再読。2013/12/23
水野洸也
1
譬喩モデルと行為遂行モデルで言語活動を考えるという視点は有益で、ある意味自分の考えていたことを正確に裏付けてくれた。「1」と数字との関係、また「ゼロ」の意味表示機能についての言説も新鮮だった。デリダやバルト、ハイデッガーの名前が多くみられたのも嬉しい。……けれどもまだ「きれいごと」だという読後感がある。言語の遂行的な部分は、言語のアレゴリーがまずあってから語られるもので、それ自体ド・マンの理論の限界を示しているように思える。本物の遂行的な言語は、まさに自らが遂行していることしか語らないのではないか?2018/02/08
井蛙
1
言葉は人間よりも年老いている。言葉は私たちの手から滑り落ちてゆく。言葉で物事を叙述しようとしてもそのマテリアルな事実性を飼いならすことはけしてできないし、さもなければ独断的となってしまう。それゆえカントやヘーゲルのような偉大な体系哲学者のテクストは一見強固である分怪しい。たとえばカントが認識と実践(この二元論的前提がすでに裏切られているのだが)を架橋するために美について論じるとき、そのやり口はイデオロギーと化してしまっている。ド・マンの手法はテクスト上のレトリックに忠実にこうした虚構作用を暴くことにある。2018/01/17