内容説明
ブルトンが熱讃し、レリスが愛し、フーコーがその謎に魅せられた、言葉の錬金術師レーモン・ルーセル。言語遊戯に基づく独自の創作方法が生み出す驚異のイメージ群は、ひとの想像力を超える。―仔牛の肺臓製レールを辷る奴隷の彫像、大みみずがチターで奏でるハンガリー舞曲、一つの口で同時に四つの歌をうたう歌手、人取り遊びをする猫等々、熱帯アフリカを舞台に繰りひろげられる奇想の一大スペクタクル―。
著者等紹介
ルーセル,レーモン[ルーセル,レーモン][Roussel,Raymond]
1877~1933。パリの裕福なブルジョワ家庭に生まれる。19歳のとき、韻文小説『代役』(1897)を書く。この間、強烈な「栄光の感覚」を味わい、自らの天才を確信するが、作品はほぼ完璧に無視された。散文『アフリカの印象』(1910)と『ロクス・ソルス』(1914)の劇場版、続く戯曲『額の星』(1925)、『無数の太陽』(1925)の上演も理解されず、シュルレアリストがルーセルを擁護して劇場で騒ぎを起こした。1932年、括弧が重なる韻文作品『新アフリカの印象』を発表するものの、翌年、旅先のパレルモで睡眠薬の大量摂取により自殺した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ハチアカデミー
21
S 読者の視線と想像力をジャックする暴力的見世物ノヴェル。理由も脈絡無く提示される奇想の数々を前に、読み手はただの視点となる。死や罪や戦争の短い挿話は、その悲しみや怒りを十分理解・共感できる。またチターを弾くみみずや喋る生首も、想像によってイメージを浮かべることはできる。しかし、それらの描写の意図がいっさい排除されるが故に、読み手は混乱をする。絶対的に読み手が介入できない作品である。原文は多分に言葉遊びの要素があり、それを翻訳でどこまで理解できるかという問題もあるが、翻訳ですらここまで凄いのが凄い。2012/08/01
多聞
13
類い稀なる想像力で構築された、アフリカの王国で繰り広げられる華麗なる日々。フォークナーの作品群や、『百年の孤独』よりも先にこの作品が誕生したことに驚異を覚えずにはいられない。2011/08/05
ラウリスタ~
12
文学玄人なら絶賛しないといけない傑作なのだが・・・。フランス語のダジャレから端を発する、なんの意味もない連想ゲームと、それから無理矢理仕立て上げられた奇妙奇天烈な学芸会。漫然と読んでいるだけではまったくイメージ出来ず、イメージ出来たところで、全く何の意味も持たない。後半では、種明かしがされるが、それも作家が尊敬するジュール・ヴェルヌ的「ある特殊な薬品、精妙な配合の金属」によるものだから、説明になっていない。文学史のなかに位置づけることが出来ない、金持ちによる戯れの自費出版だ。日本語訳だけならそうなる。2015/12/02
プロムナード
10
自ら課した制約をバネに、想像力が跳躍する。臓器のゼラチン製レール、水滴で楽器を演奏するミミズなど、この奇想天外なイメージはただ自由奔放な想像からは出てこないものだろう。本書はまさしく人間の想像力を拡張する崇高な実験だ。いかにもシュルレアリスト達が好みそうな方法論だが、解説を読むとルーセルにはもっと切実な動機があったらしい。現実と接点をもたない文学というが、こんな特異で先鋭的な文章が生み出されること自体に強い文学性を感じる。後により洗練された形で描かれる『ロクス・ソルス』より、そんな作家性が強く感じられた。2016/07/10
D
10
とんでもないものを読んでしまった…。この本のすごいところはその創作プロセスにある。普通、小説というのは著者の世界観や心情が少なからずもメタ的に現れる、というよりも現れずにはいられない。しかしこの小説にはそういった著者によるメッセージ的なものが一切ない。なぜならこの小説が言語遊戯のみによって表現されているからである。翻訳ではそれを直感的に感じることはできない、むしろそんな言語遊戯だけで成り立っているとはとても想像できない。それほどある種の完成された世界が細かく描き出されているからである。2015/10/12