内容説明
哲学はいかにして宗教に出会うか。フィヒテ哲学の頂点にして最も輝かしい光点、ドイツ観念論の無二の記録、人類が持ちえた最も深遠な著作と称えられる古典の改訳決定版。意識の徹底的な分析のみを支えとして、至福の生への道程を指し示す、万人に開かれた宗教論の傑作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
かわうそ
41
大好きな本。人間は不幸に運命付けられてはいない。もしも、不幸な状態があるとすればそれは日々移り変わるものに執着して愛を定住させていないからだ。 また、有限のものの原因を探し求めていくといずれ、無限なものに突き当たる。なぜなら「無から有は生じない」から。故に神は存在する。人間はそれぞれ神を把握するべきであるとし、それは自らの思考を持ってしかできない。2023/12/15
かわうそ
39
目に見えるこの世界に囚われること、それは多数の移ろいやすい有限なものに意識を散乱させることを意味し、境遇さえ変われば幸福になると信じる愚かな思想に陥るのです。(実際にはまた、憂愁が壁のように立ち塞がるわけですが) また、フィヒテは目に見える世界はそれ自体が像であり、像や感覚というのは意識から離れては何ら意味を持つことは出来ないということ、思惟や意識においてのみ感覚は可能となることを忘れずにいることが大切だと言います。つまり、感覚があるから思惟があるのではなく思惟があるから初めて感覚が意味をなすのです。2023/01/10
かわうそ
38
フィヒテはショーペンハウアーにボロクソ言われていた気がしますが笑。 しかしまあ、僕はショーペンハウアーやニーチェよりもフィヒテの方が好きですね。Wジェームズも言ってますが哲学は未来展望的でもなければならないわけです。そうなれば、未来が明るく見えるような思想でなければそもそも持つに値しないように思えます。特定の宗教は信じていませんが、間違いなく神はいると思っていたほうが生きやすいし、神以上に避けては通れないものに希望を照らしてくれたり、意味をもたらしてくれるものはないでしょうね。2024/02/16
singoito2
6
読友さんきっかけ。ドイツ観念論はみんなそうかもしれないけれど、あくまでも演繹的にストーリーを紡ぎ出す姿勢はあまりにも一方的な論調。また、神との合一を精神の最高段階とするフィヒテの主張も受け入れがたい。フィヒテはキリスト教擁護の主張をしているつもりだけれど、「改心者をふやす」P254なんて発言はフィヒテ教の宣教のようにも聞こえるし、「このようでなければならず、またこれ以外にはありえない。ゆえにこのようにあるのである」P88のような随所に見られる厳しい決めつけも抵抗感があった。あんまり好きじゃない。2024/01/11
アレ
0
いいこと言ってるなぁ2010/12/26