イタリア現代思想
裸性

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  • サイズ B6判/ページ数 221p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784582703429
  • NDC分類 137
  • Cコード C0010

内容説明

ヌディタ、すなわち裸性=剥き出しとは、セクシュアリティに関わるものである以上に、われわれが無防備であること、さらされてあることに関係している。原罪を一種の自己誣告とみる独創的なカフカ論をはじめ、原罪によって開かれた潜勢力としての「認識の可能性」がヌディタの核心にあることを喝破した好著。シリーズ第一弾。

目次

創造と救済
同時代人とは何か?

亡霊にかこまれて生きることの意義と不便さ
しないでいられることについて
ペルソナなきアイデンティティ
裸性
天の栄光に浴した肉体
牛のごとき空腹―安息日、祭日、無為をめぐる考察
世界の歴史の最終章

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

34

18
あたかも裸を身に纏っているかのようなファッションモデルたちの優美なヌード写真。それにアガンベンはキリスト教神学の恩寵を身に纏った堕落以前の裸の人類のイメージをぶつけてみせる。必ずしもエロティックとは言えない現代のヌードイメージがわたしたちを魅了する理由は、そこに秘められた神学的索引を明るみに引き出すときはじめてはっきりするのだと、アガンベンは実践的に示してみせている。そのとき同時に示されるのは、わたしたちは裸体なるものをヴェールを剥ぎとられた状態としてしか認識できないのではないかということでもある。→2017/02/15

すみ子

6
課題。主に裸性の章を。神学的な解釈で文化を解釈する手法に初めて触れたので、なかなか面白かった。現代のモードがなぜ衣服の神学の世俗的な後継者であり、そして堕落する前のエデンの園における再現する装置になるのか、モードというものはどのような力を持っているのか、ファッションを論じる上で考えて行きたい。2013/09/12

geromichi

4
認識のない領域についての考察集。例えば「天の栄光に俗した肉体」(キリスト教でいう天国で復活した身体)は生前の肉体と同一かという神学的な問いから始まる章では、ベンヤミンの言語論に呼応するかのように、肉体の各器官は機能性を失くした無為のものでありすなわち潜勢力になるという結びに落ち着く。その他ユダヤ教の安息日を扱った章でも、その起源は神にだけ許された無為を意味する日、すなわちバートルビー的な潜勢力であった、と展開される。扱う対象はそれぞれ異なるが、なぜかアガンベンのいつものテーマに落ち着くのが面白かった。2020/06/25

Nobody1

2
カフカ論に痺れました。2018/03/13

とまる

2
人に戸惑を感じさせない、例えば電柱のように当然に存在してしまうような肉体があるとしたら。それは肉体ではあるけれど果たして“裸”か。(それを裸と呼ぶことは犬を指差して「服を着ていない」と騒ぐのと似ている気がする。) 裸とは 全てが見えた、つまり全てがそこに「ある」ことか。それとも、全て取り去られた、つまり何も「ない」ことか。 そう考えた時に「ある」or「ない」という安定=状態ではなく「見えた」or「取り去られた」という転換=出来事こそが“裸”を裸たらしめているのだと、読み終えてから思ったり。 2012/09/24

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