内容説明
現代技術の本質は集‐立にある!人間を閉じ込めるこの命運からの脱却は可能か?思索の敬虔さとしての問い。
目次
技術への問い(一九五三年)
科学と省察(一九五三年)
形而上学の超克(一九三六‐四六年)
伝承された言語と技術的な言語(一九六二年)
芸術の由来と思索の使命(一九六七年)
著者等紹介
ハイデッガー,マルティン[ハイデッガー,マルティン][Heidegger,Martin]
1889‐1976。ドイツの哲学者。フライブルク大学神学部に入学、哲学部に転じ、1913年「心理主義における判断論」で博士号取得。15年同大学私講師となり、フッサールに師事、現象学を学ぶ。23年マールブルク大学教授、27年に主著『存在と時間』を公刊。28年フライブルク大学に移り、33年ヒトラー政権下、同大学総長に就任するが、在任期間1年たらずで辞任。30年代半頃よりニーチェ、ヘルダーリンへの関心を深め、36年から38年にかけて『哲学への寄与論稿』を執筆、後期思想の構想を明らかにする
関口浩[セキグチヒロシ]
1958年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。現在、早稲田大学社会科学部非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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mstr_kk
7
現代技術の本質とは何か、それはいかにして生まれたか、それは人間と自然に何をもたらすのか、技術時代の危機から人間と自然を救うものの可能性はどのようなものか。そういった問題について、通俗的な観念を退けるため、語源学の方法を用いて論じた論考が収められた書物です。グローバル化した現代技術のシステムは西欧の形而上学の歴史によって規定されているので、それについて本質的に考え、間違った方向に進んでいるものを正すためには、原初というべきギリシアの語にまで戻って概念を検討することが有効だと、ハイデガーは考えたわけです。→2014/11/16
りっちー
1
技術を宗教や哲学になぞらえた読み物。思っていたのとは違っていたので、がんばって読みましたが、個人的には合わない書籍でした。2024/11/29
Violaの錬金術師
1
技術の本質を「問う」ことで思索の在り方をも問い直す。技術はあくまで人の道具である、のではない。むしろ自然やひいては人間の性質をエネルギーとしてや別の存在様式で開蔵する"Gestell"(集立)なのである。そこに人間の主体はあるのか?あるならばそれは問い立てる人間としてなのだろうか2013/02/05
左手爆弾
1
難解でイライラする言葉使いと、結論にたどりつくまでに長々と語る口調で、大変苦労する。しかしゆっくり読んでいくと、それなりにわかることを言っていることに気付く。現代技術は「集立」によって特徴づけられ、それは自然をいわば1つの手段として扱い、人間をも手段として巻き込まれる・・・とまぁ、ここだけ書くとひどく単純だが、実際にはトリビアも含めて強烈な議論に満ちている。まだまだわからないことだらけである。表題作の他、「芸術の由来と思索の使命」も面白い。こちらの方がややわかりやすく、他の論文理解への参考になるか。2012/03/25
madofrapunzel
1
★★★★☆ 訳の感じが少し掴むのに時間がかかったけど、例えば同タイトル『技術への問い』に限っていうならば、技術=目的のための手段、という定義から離脱して、技術=開蔵の一種、という定式が導かれていて、斬新でした。 ”開蔵”とは何か、それは僕は、何かしらの事物を強烈な明るみの場所へ引き出すこと/引き出されること、くらいのニュアンスで捉えました。 技術とはそういうものなのだ、軽々しく扱うものでもない、と。 ハイデガーが楽しく読めてよかったです(*^。^*)2011/05/20
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